「男女平等ですよ、イマドキ扱いに差なんてない。世間が大袈裟なんスよ」
今でもふと思い出す、教育実習先の高校で男子生徒から言われた一言。
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7年前のことだった。国語科の教員免許を取得するために大学の附属高等学校に実習に伺った。
教師になるつもりはなかったが、せっかくの取得できるのなら取っておこうか、という感じで消極的だった。
もう既に就職先も決まっていて、うまくやりこなそうと思っていたわけだ。
任されたカリキュラムでは、上野千鶴子のジェンダー論を扱うことになっていて、最終回ではクラスのみんなで自身の実体験に基づいて語り合おうというものであった。
「上野千鶴子かぁ…。"濃い"んだよなぁ」
上野千鶴子のフェミニズムは熱量があり、上野氏と同じ熱量を持って自身が議論をリードすることを難しく感じていた。
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そんなこんなで授業を進めていた矢先。
「男女平等ですよ、イマドキ扱いに差なんてない。世間が大袈裟なんスよ」という言葉が出てきたのだ。
「そうだそうだ、大体フェミニズムなんて古いっスよ」
「別にみんなお互いを"くん"じゃなくて"さん"付けで呼ぶし、勉強だって部活だって特に男女に気を遣う瞬間なんてない」
「世間が過剰。お茶汲みとかもうないっしょ」
「男女はすでに平等!社会ではLGBTQとか言ってるじゃん。テーマが古い」
次々に発言が上がった。
高校生、それも偏差値もそこそこの、家庭環境が整った家庭の子たちで構成されているこの集団では、性差を気にすることなんてないらしい。
当時の大学生だった私もそうだった。
――ここに書いてあることは机上の空論。実感がない。
"ひと昔前"のジェンダー問題をなんで今また掘り返さないといけないのか。
まぁ、そういう文学だから仕方ないか。ところで、この場をどう収めようか。――
ぼんやり考えていたところ、高校の国語の先生が「君たちは幸せで良かったね。同年代でいるこの共同体が良かったのかもしれない。社会に出たときも同じようにそう言えるといいけどね」とゾっとする発言をし、幕を閉じた。
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その後、私は社会人になり、就職して上京し、結局、女性の扱いの酷さに衝撃を受ける。
例えば、飲み会の場で「女子社員枠」として扱われる。「〇〇ちゃん」と呼ばれ、自分にだけ軽い言葉遣い(ん、舐めてるよね!)。
「女性らしい細やかな視点で仕事をして活躍してもらえれば」(細やかかどうかは個人に依るだろ!)
相手には全く悪気がないらしく、いちいち突っ込むのも面倒なくらいだ。
いちいちキレていた同期は裏で「オバサン」って呼ばれてたっけ。
決して悪い会社じゃないし、田舎でもないはずなのに、気が緩んだときに本音が出るのか。
大して年齢差がない上司も、同期でさえも、こんな調子で驚いた。
いきなり、今まで自分を包み込んでいた何かの膜が剥がれた気がした。
時代は下り、この頃よりさらにジェンダー論が進んだ今日ではもう少しマシにはなってきているが、つい最近まで日本もこんな調子だったのだ。
社会を知らないまま、フェミニズムを小馬鹿にするのは良くないと痛感した。
いまでは「男女は既に平等。むしろ男の方が損している」「男女平等にすべきなんだから、生活費は折半!出産休業や育児休業中も払うべき」などといった過激派まで生まれてきているようだ。
しかし、女性はマンションの2階以上でオートロックが必要とか、実は医学部で女性の試験の点数が低くされていたとか、まだまだ自分が知らない・見えていないだけで差は存在しているのだ。
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気づいていないだけで、自分の周りが良識的だっただけで、世界は広いし、問題は山積している。
このことを若い女の子たちには覚えていてもらいたい。
特に、出産はやはり女性の命を懸ける行為だから、簡単に考えるような人には注意した方がいいと思う。
私の同期は妊娠中にも男女平等に仕事をすることを求められ、深夜まで仕事をし大変な目に遭った。
たとえ本人が「大丈夫だ」と言っても、平等にできるはずがないことだってあるのだ。
あの時の生徒には授業でうまく伝えられず申し訳なく思う。
教育実習生のことなんて彼らはきっと忘れてしまっているだろうが、もしあの時の生徒が少しでも社会のジェンダー差を感じられるようになっていて、解決したいと思ってくれるようになっていたらうれしく思う。