間接照明を消して、瞼をゆっくり閉じる。
心の中で「今日の私もお疲れ」と労った。

「……はぁ〜、今日は眠れない夜か」。ため息交じりに声が出る。

私は目を閉じたまま、今日1日を振り返る。そんな大したことはなかったと思いながら時系列で思い出していたら、今日の一大残念事件を思い出した。

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7月に応募したエッセイの選考結果が9月19日に発表された。結果は言うまでもなく、落選。淡い期待と少しの諦めを持ちながら、iPhoneをスクロールして自分の名前を探す。探す。探す。3度たが私の名前はそこにはない。「あぁ、これが落選ということね」と天井を見上げる。

なんとなく、こうなるのではと思っていた。加えて諦めを抱いている時点で負けなのだ。通過したいという気持ち(熱意)なければスタートラインに立つことは叶わない。私は最初からスタートラインに立つ気がなかったとこの時、初めて理解した。

初めて書くエッセイなのに何も知識を得ないまま、ほぼ衝動的に書いた。今となれば、この言葉は言い訳に過ぎない。言い訳してる暇があったら、まずは本物のエッセイを読むべきと思ったので、積読してあったさくらももこ先生のさくらえびを本棚から取り出した。

学ぼうと思って手にしたエッセイ、さくらえびはいい意味で学ばせてはくれなかった。開いて3行読んだらクスクス笑ってて普通に楽しんでて、気づいたら夕飯の時間になっていた。「私が出品したエッセイはひとりよがりのエッセイだったのかもしれない。さくらももこ先生は、日常を切り取るのが上手でこんなにも笑わせてくれた。私もせめて、クスッと笑わせるくらいは書きたいな」と白菜が入ったシチューを食べながら、冬の訪れを感じつつ、1人反省会。

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反省会をしたら普通は勉強するものかもしれないが、なんと私は瞼を閉じて眠れなくなるまでこのことを忘れていた。「相変わらず私ってヤツはお気楽ものだ、てへっ」とこのことをまるで反省する気がない感じで自戒した。

しかし、この眠れない夜に思い出しては書き残さずにはいられなくなった。
ほぼ、私の気持ちを綴っているのだが「エッセイってこれでいいの?」の疑問を持っている。なにせ、今日落選結果を受け取ったのだから。しかもメランコリックに陥りやすい夜に書いていて、変な方向に行ってないかも不安だ。まるで、読み手を笑わせる気がないこともに気づいている。一応謝っとこうかな、「ごめんなさい。でも、陰気が強い人間は多いですよ」。

こんなちゃらんぽらんな考えを持っている私だが、落選結果を通してはっきり抱いた感情がある。悔しい、残念。もっと言うと、甘くて美味しい結果をもらえると思ってた自分に失望。「しっかりしてくれよ」とさすがの私も自分に呆れた。

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人生も20代半ばだが、私は私をそろそろ個人として認識したい。自分と見つめ合って、輪郭しか掴めていない自分像の核心を掴みたい。何がしたいかも分からない、でも妥協で生きるのは嫌だ。何もかもが最短ルートでいけると思うこと自体、間違っているし、そんな上手くいかないことも知っている。けど、なんでだろう。願えば叶うし、神様は見捨てないと思ってしまう。

けどこんな保証のないことにすがるより、自分像の核心を掴んで、進みたい道を歩きたい。そうしたら、自分を誇れるようになって、ダサさも含め「私が好きだ」と見栄を張らず、心から言えるかもしれない。
そうして初めて、自らかけた呪いを解けるかもしれない。