東京は、いつだって大都会だと思う。聳え立つ高層ビルからは、窓の数だけ人生があるように沢山の人の夢を乗せて今日も輝く街だと思う。中学生の頃、修学旅行で行った東京は眠らない街というイメージがあったけれど、大都会の真ん中にいるだけで眠れないのは私のほうだと思った。
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東京スカイツリーに行くと、展望台からの夜景はもちろんショップやカフェなどの施設からも夢のパズルがどんどん溢れていて、いつのまにか「あれもこれも欲しい」と目を輝かせている人々のなかにいた。東京は夢が叶う街で、叶えたい夢をもって東京に挑戦しにやってくる人が多く、いろんな選択肢が溢れている街だとも感じていた。
人の流れに驚きながら散策していると、あっという間に時間は過ぎていく。人、食べ物、建物を見て回ると同じ日本にもこんな世界があって、こんな価値観があると圧倒されるばかりだったけれど、自分のやりたいことをブレることなくやり通しながら東京で生きている人々の勢いにも感動をおぼえるくらいだった。
早朝五時にホテルの客室の窓から眺めた東京の空は、秋晴れの心地よい一日を知らせるような澄み渡るものだった。たまに、都会は田舎よりも空気が濁っているなんていうイメージを聞くこともあるが、全くそんなことは感じられず、もっと東京を知りたい衝動に駆られていくのだった。まるで未知の世界が広がる東京に恋をしているみたいで、私はドキドキする胸の高まりを抑えられずにいた。早朝にうっすらと窓からスカイツリーが見え、夜とはまた違う顔をしていて魅力的で、昼間はどこか不思議な雰囲気を醸し出していて、気づけば魅了されていく自分がいた。
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修学旅行二日目になると、自由行動で渋谷のTSUTAYAに行った。もちろん地元にもあるが、規模がまるで違っていて、品数も圧倒的に豊富だ。ふらっと立ち寄ってぶらついているだけで、欲しい本がすぐ見つかる。別に探していたわけでもないのに、自分の好みだと思う本と出会える。これこそが、夢の世界かもしれない。今振り返ると、この世界にはまだ出会ったことのないモノで溢れていることに気付かされた瞬間だった。東京の街を一通り巡り歩くと、もっと素敵な出逢いが待ち受けているのかもしれないと考えるだけで、楽しくなる。現実世界にいるはずなのに、夢の国に来た気分だった。
渋谷のアニメイトがあるビルの一階にクレープ屋さんがあった。自由行動の班は四人で、そのうち二人はアニメイトで買い物をしたいと言っていたので、私ともう一人の子で買い物が終わるまでクレープを食べて待つことにした。アニメイトの場所が分からず、地図を見ながら道中のコンビニの店員さんに尋ねながら、やっとたどり着いた私たちは歩き疲れてフラフラだった。そんなときに食べるイチゴのクレープは、シンプルな味だったけれど甘さが身に染みわたっていくのを感じていた。渋谷は大都会の真中で、若者の街というイメージが強かったけれど、ゆったりとした癒しが広がる一角もあるのだなと知り、単純に面白いところだと思った。表参道にはぎらついた若者に人気のお店があるなかで、ちょっと大人の色気が感じられる通りがあることも、それだけで選択肢が広がって世界には眩しく美しいモノで溢れているのだと夢見心地になるのだ。
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東京は素晴らしい。欲しいモノが揃って、夢を叶えられる街だと知った時、ワクワクせずにはいられなかった。修学旅行の帰りは名古屋まで新幹線に乗ることになって、駅の構内で電車待ちしていると、抱き合うカップル、斬新なデザインの服を身に纏ってランウェイを歩くように華やかな姿が目立つ若い女性、小学生くらいの兄弟を連れた家族の姿が印象的だった。みんな、新しい夢を見つけたように笑い合っていた。
新幹線に乗って窓から駅のホームに行き交う人々を眺めながら、またねと微笑んだ。