友だちと恋バナをしていて、恋人がいないと言うと、どんな人がタイプ?と聞かれる。○○な人かな、と答えると、そこからそれぞれの理想の相手について話が膨らむ。特に20代を過ぎると、結婚を考えるようにもなるので、性格やキュンとする仕草よりも、年収や仕事など生活に直結する話になりやすい。これは男性にも共通するだろう。
カフェで色んな話が聞こえてきたり、テレビで芸能人が好きな異性の話をしている番組を見たりすると、ふと疑問に感じることがある。
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「男性には最低限してほしいことがある」「女の子にはこうあってほしい」というフレーズだ。運転免許を持っていてほしい、料理ができる人であってほしい。要望は様々だが、男性だから、女性だからという性別を理由にした要望は気になってしまう。
運転免許は男女問わず持っていておかしくない資格であり、取得するかしないかは本人の自由だ。それぞれの環境に左右され、都会で暮らす機会が多い人であれば、運転免許を持たなくても移動は不自由を感じないだろう。料理も、できるかできないかではないと思っている。今は、コンビニや冷凍食品がとても身近にあり、テイクアウトやデリバリーまで主流である。料理をしなくても美味しいものが食べられ、必ずしなければいけないという必要性はなくなった。一人暮らしであればなおさら、自分だけの食事を一から作るよりも時間が省けて良いと思うだろう。こちらも、男女問わずできる人、できない人がいる。
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一方で、料理に関しては未だに女性の方が長けている、できて当然だと思う風潮も弱くない。台所に立つのは母親が多く、子育てや夫の食事を準備しなければ、とパートタイムで仕事をしている女性が多い。私の同僚にも、料理は苦手だが夫のために料理を作りたいからとわざわざ仕事を早めに切り上げて帰宅する人がいる。女性はそこまでして料理ができないといけない人なのだろうか。
10年後は、今よりももっと料理は簡略化できているだろう。便利グッズも多数登場している。だが、女性だから料理ができて当然という考えも変わってきてほしい。簡単に料理が作れるのなら、苦手な人にも、避けてきた人にも挑戦しやすいはずだ。自分は男性だからと料理を女性に任せっきりにする人が少なくなることを願っている。恋人でも夫婦でも、互いが協力し合って料理を作ればよいと私は思う。
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運転免許や車の運転も同じだ。免許を持っている方が運転をすれば良い。どちらも持っていないのであれば、住む場所を考えて移動手段を確保すれば良い。代替案が近くにあるのだから、持ってない、できない、だからだめだと決めつけないでほしい。
私は、今よりももっとお互いを補う関係を恋人や夫婦間で築けるようになっていることを願っている。女性だからと個人の価値観を一般論かのように押し付けられ、半ば強制されたように誰かに尽くす風潮が弱くなっていますように。そうなればもっと、自分の好きなことに集中できる環境が作れるかもしれない。仕事や趣味を主軸に生きる女性が増えるかもしれない。女性の社会進出が特別なものではなくなり、男性とともに同じ立場で活動している未来になるだろう。同じように、男性が家事をすること、子育てに参加することが特別なことだと思われない世の中になっていると嬉しい。
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10年後、自分も含めた多くの女性が、今よりもさらに活躍しやすい風潮が根付いていることを願う。私がここに書いたことは、まだ水面下にあって、表に出そうとすれば理想論だと思われることが多いだろう。水面から顔を出し、誰が見ても認識できる考え、感覚、環境になっていることを願う。これから社会に出る女性たちが、このような姿を目標に掲げて夢を抱いてくれると、もっと変えられるとも思うからだ。キャリアウーマンをかっこ良いと思った私が今、仕事をしたいと思えているように、男女平等に生きられていないことに疑問を持った人たちが、これこそ求めていた環境だと思える世の中になっていることを願う。