「息子さんが無口なのではなく、お母さんが話をさせてないんですよ」と言われたのは、10年以上前に通っていた傾聴講座でのことです。思春期で口数が少ないのは普通で次男も同じだと思っていましたから、私のせいだと言われた時は驚きを通り越し怒りすら覚えました。でもそれが事実だと分かったのは、まさにその日の夜のことでした。

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「今日、学校楽しかった?」「うん」 「ご飯は美味しい?」「うん」
彼はほとんど「うん」か「ううん」しか言いません。たとえ返事をもらえる質問をしても、「こうすればいいよね」と私が先に答えてしまっている。それに気付いた時は大きな衝撃を受けました。その時ふと自分が思春期だった頃の感情が蘇ってきました。

高校2年生の時のことです。「ダイエットがしたい」と母に言うと「ダメよ、あなたはポッチャリしている方が可愛いのよ」と無神経な答えが返ってきました。母にとって私はいつまでも3歳の女の子。ご飯の量を減らせば「もっと食べなさい、それじゃあ足りないわ」と言い、ダイエットに協力するどころか逆に阻止しようとする態度に腹が立ちました。でも母のことは好きだし困らせたくない、でも痩せたい。どうしたらいいか悩んでいた時に、たまたま風邪をひき一週間ほど寝込みました。体重は2キロ落ちていました。

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「食べなければ痩せる」と気付いた私は、そのまま拒食症になりました。体重は52キロから36キロに落ち、体は骨と皮だけ、生理も止まりました。これではいけないと思い少しずつ食べるようにしたものの、1日に1~2キロという勢いで増えていくのが怖くて、食べたものを隠れて吐くようになりました。その時、この方法なら母を悲しませることもなく、自分の欲求を満たすことができると思ったのです。それは14年ほど続きました。「摂食障害」などという言葉はまだない時代です。治したいと訴えても首を傾げる医者ばかりでした。でも次男が2歳の時にそれは突然終わりを迎えました。部屋で彼と一緒に寝転んでいると、何か食べた訳でもないのに、幸せで体がはち切れそうになり涙がこみ上げてきました。「もう食べなくても大丈夫だ」と心からそう思えた時、過食嘔吐はピタリと止まりました。

今では、母と一緒に痩せる方法を探したかったのだと分かるのです。母を悲しませたくない、言ってもどうせ分かってもらえない、そんな理由から思いを言葉にすることを諦め、食べ物で口を塞ぐという選択をしたのです。思いを言葉にできない辛さを誰よりも知っていたはずなのに、それを忘れ次男に同じ思いをさせていたと気付きました。

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「うん」「ううん」は彼にとって自分を守る魔法の言葉だったのでしょう。でもこのままではいけないと思った私は、できる限り「うん」「ううん」以外で答えてもらえる質問をしました。「ああ、また『うん』と言わせてしまった」「『うん』と言わせないためには、どう問いかけたらいいの?」。そんな反省を繰り返しながら。私と話をしなければならない状況に最初は戸惑っていた彼も、自分の中にある言葉を探しながら徐々に話すようになっていきました。

それから半年ほど経った頃に事件は起きました。私の言動に腹を立てた次男が「前にこう言われたことが嫌だった!」「あの時こうされたことが嫌だった!」と言ってきたのです。長い間飲み込んできたモヤモヤを言葉にすることができた瞬間でした。
「やっと言ってもらえた」。私は嬉しくて「うん、うん」と頷きながら彼の言葉を受け止めました。その事件以降、私達はより自然に話せるようになりました。

自分も通ってきた道なのに、母になると忘れてしまうことが沢山ありました。でも思い出すきっかけは時に『問題』という形で現れ、助けてくれる人、心に響く言葉が前に進む『ヒント』になりました。私のこんな経験でも誰かのヒントになればと願うばかりです。