言いたいことは山ほどある。
どうして家事は女性がするものだと考えられているのか。どうして結婚したら夫の姓にするのが一般的なのか。男性が育児をするとイクメンと称えられ、女性は育児をしても何も称えられないのか。違和感は尽きない。
厳しい言い方をすると、変える必要があると言っておきながら結局変わらない。この世の中は変化を恐れて停滞しているだけではないだろうか。
私は結婚した時に、夫に頼み、自分の姓にしてもらった。その時、周りからは、理解のある旦那様だとか、相手の家族が嫌がっただろうだとか、そんなことを言われ、不快な気持ちになった。私が夫の姓にしたら言われるはずもない言葉だと感じたからだ。
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もちろん、できることなら夫婦別姓がよかった。しかし、その制度はまだ法律的に定められていない。できないものは仕方がない。最善を尽くすことを考えた結果だった。
また、産休や育休の制度にも違和感を覚えた。私の職場の就業規則にも、産休や育休が取れると記載があった。しかし、それは無給だった。休みは取れる、というだけで、お金は1円も入ってこない。子どもを産み育てるということは、体にも心にも大きなダメージを伴う場合もある。出産や育児はリスクのあるものだ。それなのに、経済的にも大ダメージになるわけだ。だから、私は子どもを積極的に作ることをためらっている。育てていく大変さももちろんあるが、お金が一切入らないという生活の不安が大きいからだ。
10年後、私のような不安や不快な思いをせずに済むだろうか。遠い未来のようで、近い未来に感じる10年という期間。私には一体何ができるだろうか。
そんなことを考えていた時に、ふと1枚のチラシが目に入った。衆議院議員の岡田克也さんの座談会が家の近くで開かれるというものだった。
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私は岡田さんの座談会に参加することにした。
夏の暑い日に外ということもあり、集まったのは20人程度だった。
座談会の会場を見渡すと、どう見ても私は浮いていた。社会経験が豊富そうな人ばかりで、私のような若い女性はほぼいなかった。岡田さんの話を聞きながら、本当はこれからの日本を担っていくのは若者なのだから、もっと若い人も参加すべきだと感じていた。しかし、現実は目の前にある。憤りを感じた。
そして、岡田さんや岡田さんの支援者の方が、「何か質問のある人」と問うた。
定年退職を迎えた人が、介護や福祉についての質問を投げかけている。保険料についての不安について質問している人もいた。確かに必要なことだ。必要なことだけれど、私はそれ以上に女性の若者に対する支援が乏しく感じた。
私は挙手した。
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周りは一斉に私を見た。緊張して声が震えた。
自分の職場の産休や育休が無給で、子どもを産み育てる環境として適切ではないように感じている。支援してもらえる体制は整えてもらえないだろうか。支援ができる体制を増やしたり、支援を充実させたりすることはできないだろうかと、言った。
周りは小さく頷いていた。岡田さんも、今後の課題の一つだと言ってくれた。
私がこの座談会で発言したから産休や育休制度が充実するわけではない。
でも、聞いていた人たちは共感し、岡田さんも課題の一つだと認めてくれている。それは、良い変化のための一歩ではないだろうか。
私は、少しでも周りに発信する必要があると感じた。私の抱いている違和感を知ってもらい、なんとかしようと自分なりに考えて行動する。
たとえそれが大きな組織まで伝わらなかったとしても、自分の周りから変えていかなければ、何も変わらない。
だから私は、これからも自分のできることを考えて行動に移そうと思った。
私が生活しやすい環境を目指すとともに、未来の女性たちの不安が少しでも減らせるように。