眠れるわけがない。
だって、眠りたくないんだ。

いったい、何度この言葉を口にしたことか。しかし、さあ数えてみよう――とは思いませんでした。
さて、私の話をしましょう。
初めて徹夜をしたのは十歳のときです。それは、私小説を書くことを禁止した母親が寝静まっている隙に、家でも小説を書こうと考えたからです。
次に徹夜をしたのは、中学のころ。テスト勉強のためでした。こちらは、勉強に夢中になるあまりにいつの間にか朝を迎えていた、と言ったほうが正しいでしょう。

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そして次に徹夜をしたのは、高校のころです。
その理由は、朝が来ないでほしい――と思ったから、でした。
なぜ朝が来ることが嫌だったのか。それは簡単なことで、学校が私の性格に合わなかったからです。元来私は他人の感情などには敏感で、わりにビクビクとして生活することが多くありました。

通っていた高校は、そんな私と相性ものすごく悪いものでした。たとえば、「テストの平均点が悪かったから」と学年集会を開いたり、「もっと勉強しないと大学受験で負ける」などと授業で言い続けたりなど。一言で言い換えるならば、ストレスでした。
ついでに言うのであれば、生徒とも相性はよくありませんでした。
真面目な彼らと私のクリエイター気質(社会不適合者、とは言わないでおく)とはどうにも相容れず、私は孤立しました。
いじめられた、のであれば、かえって楽であったかもしれません。
しかし彼らは賢い人たちでした。いじめることがなければ、仲間はずれにすることもない。ただなんとなく、壁を作るだけ。
どうやら私はそれで、学校を嫌いになったようでした。

なんとなく行きたくないけど頑張って行く、に始まり、朝起きるのがつらくなる、足が重い体がだるい、保健室を頻繁に利用するようになる、朝起きられなくなるといったように、しっかりテンプレートを踏んで「学校へ行けない」を悪化させていきました。
そして、それなりにお察しいただけるかもしれませんが、母は味方ではありません。「早く寝ないから悪いんだ!」「スマホを寝る直前まで触っているから起きられないんだ!」「早く寝ろ! 早く起きろ!」コールが続く毎日。もしかしてストレス源、ひとつじゃなかったんじゃ……。

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という話はさておいて、私は順調に不眠へのステップを上がっていくことになりました。が、眠れないことそれ自体は、それほどストレスではありませんでした。睡眠の代わりに小説が書けますから。
しかし、どうにも朝が嫌になりました。起きれば母になじられる。学校で教師たちに責められる。生徒たちに壁を作られる。居場所 is 何、などと言ってみたそのジョークはとうとう冗談にもならなくなりました。
ここまできてしまえば、もはや自暴自棄の領域です。「どうにでもなれ」、その言葉が私の救いになりました。

つまり私は、半ば「無敵の人」のようになったのです。無敵なので、夜更かしや徹夜もお手のもの。夜は誰だって孤独ですから、特別に孤独感を覚える必要はありません。暗い一人の時間は、確かに私の心を温めてくれました。夜があったから今も生き続けられている、と言っても過言ではないのかもしれません。
私の眠れない理由というのは、孤独を感じたくないから、というところに落ち着くでしょう。SNSの海を泳げば、それなりに仲間が現れてくれる時代にもなりました。
専門学生になってはや半年、私はすっかり孤独ではなくなりました。しかし私はこれからも、眠れない夜はやはり、一人で殻に閉じこもるのでしょう。

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今通っている専門学校では、大好きな勉強を、頼もしい仲間たちや強すぎる(!?)講師の先生方としていますから、朝が来るのが嫌だなんて理由で夜更かしをすることはなくなっていくはずです。
それでも。人生は、どこまで行っても孤独です。
私は孤独の寂しさを誤魔化すために、時折体調を崩さない程度に夜更かしを、そしてまれに徹夜をするのでしょう。
私が、私の中にいる人間という生き物を失わない限りは、そんな夜があってもいいと思うのです。

あなたもどうでしょう。
苦しい夜を、爽やかな朝日で明かすこと。それは案外、悪くないものかもしれませんよ。