自分を取り巻く人間がいなくなってしまう可能性だってある

私は『カードキャプターさくら』(以降CCさくら)、がこの世の中で1番好きな作品だ。
主人公の名前はさくら。キャラクターの好きな色はピンク(と白)、漫画本のカバーは通常版・新装版・記念版どれもピンク。
イメージカラーと作品の影響も相まってピンクが好きだったし、小学校入学にあたって必要な文房具類は一式CCさくらだった。

しかし、ある時期からどこからともなく現れる「ピンクが好き」=「ぶりっ子」という風潮。誰かが実際に発していたわけではないが、何となく感じていた。それを隠すように水色や黄色など「安全な色」を好きな色にしていた。
ある時、「ピンクが好きなんてぶりっ子だよね」と言っている子がいて、「やっぱりそうなんだ……」と幼いながらに公言しなかったことに安心感を覚えた記憶がある。

小中学生くらいの女の子にとって、「ぶりっ子」と思われることは死活問題だ。自分を取り巻く人間がいなくなってしまう可能性だってある。女の子だけではない。
今のようにジェンダーレスという言葉も定着していなかった時代、男の子がピンクを好きで、ピンクの洋服や装飾品を身に着けていると「女っぽい」と揶揄されていただろう。

黄色も好き。自分のイメージと共通点があることが嬉しかった

あとは、自分のイメージにそぐわない色だと思っていた。
私に対する周りが抱くイメージは「明るい、元気、天真爛漫」。通知表でもコメント欄に「元気で太陽のような子です」と担任に書かれていた。他にも心理テストで「この色をイメージする異性の友達は?」とあれば、大抵黄色やオレンジに該当する子だった。だから何となく「自分はそういう立ち位置なんだ」と思い、ピンクとはやっぱり距離があった。

黄色も好きだった。それもCCさくらの影響が大きい。
さくらは作品の冒頭で自己紹介をする際に、「元気が取り柄の女の子」と言っている。自分が抱かれているイメージと共通点があることが嬉しかったし、黄色をイメージカラーとするキャラクターも好きだった。
同志なら共感してもらえると思うのだが、推しがいてその推しがグループなら担当カラーがある。その担当カラーを身に着けたり、身の回りをその色で固めるだろう。持ち物も自然と黄色いものを選ぶようになっていた。そんなこともあってしばらく自分の中で黄色が定着していた。

しかし、大学にも慣れてきた頃からだろうか、徐々にピンクのものを選ぶようになる。
PC、スマホ、エコバッグ、折り畳み傘、マイボトル……。一気にピンクとの距離が近くなった。ピンクに対して「ぶりっ子」ではなく、「女性らしさ」を感じるようになっていた。
それは年齢も関係していて、黄色に「子供っぽさ」を感じ始めていたからだ。

ピンクと近い距離にありながら、わざわざ遠ざけていた

そしてある時期アニメを漁るように見ていると、ピンクヘアーの女の子がもれなく好きなことに気づく。ピンクに惹かれてしまうのは、私の中の女性の部分がくすぐられている、とても自然なことかもしれない。
昔はぶりっ子に思われることにある種危機感を感じていたが、少し年齢を重ねて振り返ると、自分の女性的側面を見られることが恥ずかしかったのかもしれない。

小学生時代の話に戻るのだが、ピンク=ぶりっ子と感じていたのと同時期、何となくスカートやワンピースも避けていた。
しかし、忘れもしない小学校5年生の時。すごくお気に入りのスカートがあって、学校にも履いていきたいと思っていた。「明日珍しいことがおきるよ」とわざわざ宣言し、そのスカートを履いていった。その時すごく恥ずかしかったが、友達が「かわいい」と言ってくれたことに安心感を覚えた。

私はピンクと近い距離にありながら、わざわざ遠ざけていた。今ではもう少し落ち着いてベージュやカーキを選びがちで、親には「地味~」と言われるが、自分が好きならそれでいいと思える年齢になった。

最後にピンクとの距離感に限定したことではないのだが、パーソナルカラーについて感じていることがある。
自分にはこれが似合うという色が分かって、好きな色だけど似合わないから切り捨てている人がいれば、それはあくまで似合う色があなたを、大前提として美しいあなたを「もっと」美しくするためであって、どんな色を選んでもあなたが美しいという大前提が変わらないということを、心にとめておいてほしい。