最近、30代の女性の話を聞いて驚いたのが、いまだに結婚して子供を持つのが勝ち組、という考えの女性がいるということだ。
何が、勝った負けたなのか、個々の人生に勝ち負けの問題などないだろう。
その人が自身の状況を受け入れつつ、気に入った人生を送っていれば、それでいいではないか。
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彼氏がほしい、好きな男性がいる、という気持ちでアクションを起こす気持ちはわかるが、勝つために婚活し、結婚をするものだろうか。それとも、そうなった途端、かなった安心から優越感を感じ始めるのだろうか。
「はい、ではあなたは勝ちの人生ね、そこのあなたは負けの人生ね」と、神様が振り分けることはしない。中継地点の区間成績はあるかもしれないが、人生は終わるまでわからない。
就学歴が低いと、ややそういう傾向にあるのかどうか、私の母の時代は戦争もあり、みんなが貧しかった。
長男を大学へ行かせるために、親と姉妹が学費を稼ぐ話もあった。なのでほとんどの女性は高校まで。
大学へ行く女性は、お金があり家柄がいいか、考え方が一般とは違う家庭ではなかったか。
20年ほど前のある職場にいた頃、フロアの清掃担当の60代くらいの女性とよく話すことがあり、その女性には息子さんと娘さんがおられ、「男の子は4年制大学、女の子は短大まで、と言ってあるの」とごく普通に話していた。
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みなさんの母親世代に近い私の時代には、明らかにそういう考えがあった。
4年制大学より短大へ行き、卒業と同時に結婚する、もしくは卒業時に付き合っている彼氏がいたら、3年ほど働いて、20代で結婚する。それはよくあるケースとされていた。1980年代から1990年代だろうか。
何かこれになりたいという目的を見つけていなかった私は、個人的には、とにかく4年制大学へ行くのが憧れだった。文系なら何を勉強してもいいと思っていた。
4年制大学への憧れのきっかけとなった出来事として、高校生の頃、年の離れた姉のような存在の知人女性に、ファッション誌のお古を譲ってもらっていたときの、誌面の記事があった。
その中に「短大 vs 四年制」という特集があり、短大女子から一人、4年制大学女子から一人、それぞれ顔出しのインタビュー記事が掲載されていた。
私から見ると、短大に通うお姉さんは、家政科で2年勉強し、卒業したら結婚して家庭に入ります、という「良妻賢母」を目指されていた。髪はセミロングで端正なお顔からは、すでに母親像が見え隠れしていて、どこか女性と競争している姿がわかるようだった。
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また、4年生大学のお姉さんは、どちらかというと、メガネをかけた、おしゃれには疎そうな人。しかし、大学で何を勉強したいから、この大学を選んだという、生き方に目標を持った学生で、誰かとの競争ではない自分の人生を送っている姿が素敵に感じられた。
そのとき通っていた高校は中レベルの共学、同級生女子の9割は短大へ進学を希望していた。わたしは女子テニス部にいた経験から、女子ばかりの社会に苦手意識もあり、短大は女子ばかりの社会。
とにかく4年制大学という憧れをかなえたくて、親に頼んで1年浪人をさせてもらった。学年の同級生で浪人をした女子は2人ほどだった。
最近ではもう耳にすることもないが、「女だてらに浪人」という言葉が浪人の1年間、頭の隅にいつもあった。
また浪人中に、近所で短大に通う友人と出くわしたが、まるで腫れ物に触るかような態度をされ、会話もそこそこに、そそくさとその場を離れていった。
今思うと、周辺社会がそういう経験が少なく、大学浪人する女性に対し、どう対応したらわからない、というものだったのかもしれない。浪人時代に通った予備校も、理系を含めて女子は1割くらいだった。
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翌年、無事に4年制共学の大学に入学すると、当たり前だが女子は全員、4年制の大学生しかいない。
キャンパスの庭にいる学生たちを見て、なんだ、いっぱいいるじゃない。というのが感想だった。
1年浪人すると、1年婚期が遅れるという計算が、自分だけでなく周りも敏感で、新卒で入社した会社の同期の男性からは、1才上なだけで、おばさんであるかのような扱いをされた。自分ではそれほど気にしていなくても、色んなところで認識せざるを得ない扱いを受けていた。
私の学生時代に男女雇用機会均等法が施行されてから、30年以上たった。
短大が減り、女子はほとんど4年制へ行く。晩婚化で働く女性も機会も増え、結婚後も当たり前のように女性も働く時代。
そして女性の不遇な社会環境に問題意識を持つ人も増え、女性の地位を上げようと起業する頼もしい人材の輩出も続いている。それは光を感じるような、うれしいことであり、これから社会人になって生きる女子を羨ましく感じる。
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できれば10年後の女の子と同世代として生きてみたい気もする。どんな時代になっているのだろう。
令和の時代は、女性がさらに安心して生きていける世の中になっていてほしい。日本の女性総理大臣も誕生してほしい。
私の時代は女性の年齢に対して、固定観念があり敏感すぎる環境だった。
しかし、これからの人生100年時代は、各世代がよいつながりを持てる、おおらかな社会環境であってほしい。
すへての人は、一生のうちで、その年齢でいられるのは365日と決まっている。
そしてひとつずつ、また年を重ねていく。