小学生の頃、同級生は皆似たようなコンテンツに夢中になっていた。少女向けゲームや少女漫画、アニメにドラマ、特に印象的なのは『花より男子』だろうか。
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そのいずれも、わたしは全く興味がなかった。
読んだ方が良いと貸してもらったがどれも退屈だったし、その当時鬼ごっこをしながら『Love so sweet』を大合唱するというブームがあったが、鬼ごっこには参加しているのにその大合唱には全く参加できないという大仲間外れを食らったこともある。
それでも、わたしはただ「へー」と思っていた。
そんなことよりも小説を読んでいる方がよっぽど面白かった。架空の世界に引き込まれていくことや、そこで描写される世界の知識と語彙を吸収していくことの方が何倍も満たされるものがあった。活字からしか得られない栄養を味わう方が生きている心地がした。
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やがて、読むだけには留まらず、自分でも物語を紡ぐようになった。クラスでたった一人の出版社を立ち上げ、一人で小説を書いてクラス中に公開するという黒歴史を運営していたこともあった。友人と交換ノート形式で物語を共同製作したことも懐かしい。
周りの評価も気にせず、読むことにも書くことにも没頭していた。いつしか、漠然とではあったものの「小説家になりたい」と思うようになっていったことは必然だったと思う。
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親には、「すごく頭の良い人しかなれないんだよ」と出鼻を挫かれた。現実は甘くない。その言葉たちの意味をわたしは後になって痛感する。
勢いで書き始めたは良いが、途中から全てがかみ合わなくなった。きっともっと良い表現も方法もあるはずなのに、探し出す術がなかった。結局、最後まで書ききれないまま、それを手放した。何度も何度も、負のループに陥った。
小説を書くということは、簡単なことではないのだと気づいた。思いついたことを思いついたまま書き連ねるだけでは、それは随筆だ。小説ではない。小説として完成させるには、いくつかのプロセスを通して、吟味して、推敲するといった丁寧な作業が求められるのだった。
物語には流れがあり、その核を捉えながら簡潔にまとめたものをプロットと言うらしい。その前にも後にも、物語を構成する全てを詳細に、的確に執筆する必要がある。なんとなくで書き始めたのだから、途中で迷子になるのは至極当然のことだった。
だが、そんなことなど露知らない齢十二、三の少女は、書いても上手くいかずに諦めることしかできなかった。
"なぜ上手くいかないのか""どうやったら上手くいくのか"そんなことには思い至りもしなかった。
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小説など書くことはできない。親の言っていることは正しかった。わたしの力では到底及ばないのだと絶望するには十分だった。
そうして小説はもっぱら読んで楽しむ層へと落ち着いて、小説家という夢は潰えた。やがて全く異なる職業を目指すようになる。
その頃には思考や知識だけでなく世の中も成長していて、"どうしたらその職業に就けるのか"ということを現実的に考えることができるようになった。
目標達成のために必要な計画を立て、実行し、その結果を評価して、改善する、その繰り返しを経て、わたしは目指し続けた職業を手にすることができた。
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新たな目標を達成したわたしは、それでも"書く"ことを諦めきれずに、エッセイと出会う。
エッセイはわたしにとって小説よりも格段に書きやすかった。紡ぐ物語の全貌が明らかだったからだ。文章を構成しやすく、出来事の終末を結末とできたことで、わたしは初めて物語を書き切ることができた。
この喜びを知ってしまったが最後、小説もいつか書けるようになりたいという憧れをわたしは手放すことができなくなった。
憧れというのは、「"そうなることはできない"という絶望の中に在りながらも、どうしても足掻いてしまうほど魅了されてしまう光」なのだ。その光がどんなに小さくても遠くても、見つけてしまったのなら、追わずにはいられない。