福島県双葉郡双葉町。福島県の海沿いにあるわたしの生まれ育った町は、田んぼだらけのよくある田舎町でした。コンビニが数軒あるだけで、スーパーは隣町にしかありませんでしたし、これと言って名所もない、名物もない、地味な町でしたが、温かい人が多くて平和な町でした。
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2011年3月11日、東日本大震災が起こりました。当時小学6年生だったわたしは、状況が理解できないまま避難生活を余儀なくされ、福島第一原子力発電所の影響で、あれよあれよという間に町を離れるしかなかったのです。一時的な避難だと思っていましたが、連日報道されるニュースをみて、もう二度と帰ることはできないと、子どもながらに悟りました。小学校の卒業式も行えず、お別れの挨拶もできないまま友だちとは離れ離れとなり、新しい場所で新しい生活が始まりました。
放射能の影響で15歳未満は町に立ち入ることができず、わたしが再び町に足を踏み入れたのは、震災から数年が経過してからでした。久しぶりに見た町は、草木が生い茂り、イノシシに荒らされ、とても人が住んでいたとは思えない冷たい町に変わっていました。住んでいた家や通っていた小学校は確かにそこにあるのに、記憶の中とは違っていて、初めてきたような気持ちになりました。
友だちとふざけながら登下校した道、隣の家の子と遊んでいた近所、友だちと集まっていた公園、好きだった男の子と花火をした場所、頭の中には思い出がたくさんあるのに、それが夢の中だったような感覚になりました。住んでいた家が取り壊されて、平らな土地になっていたのをみたとき、もう帰る場所は無くなったのだ、という現実を突きつけられました。
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わたしの知っている双葉町には、もう記憶の中でしか帰ることができません。でも思い出すのはどれも楽しい思い出ばかりで、思い返すといつも心が温かくなります。同じ経験をした友だちとは今でも交流を続けていますし、久しぶりに会っても必ず思い出話に花を咲かせます。今では復興が進み、少しずつ温かさを取り戻し始めた双葉町ですが、やはり以前と同じ町ではない気がしてしまいます。以前の町の姿に戻れないとしても、わたしの地元は双葉町だけですし、あの頃の双葉町を他の人が忘れても、わたしはずっと覚えていることでしょう。
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当たり前にあった景色が当たり前ではないこと、会いたい人に会えること、帰る場所があること、生きていられることの奇跡、震災を通して経験したことや感じた気持ちは一生忘れることはありません。震災がなければ、と思ったことは何度もありましたし、今とは違う人生を歩んでいるわたしを時々想像したりもします。そんな想いや経験も含めて、忘れたくても忘れられない特別な町です。
きっとこの先も戻りたいと思うときがくるでしょう。でも思い出せばいつでも記憶の中で帰ることができるので寂しくはありません。他の誰も踏み込めない幻の街は、わたしの中だけにあります。