私は今東京の都心に住んでいる。転職を期に東京に越して早幾年。田舎に住んでいた頃、都会の人間は冷たいだとか、都会の街は厳しいだとか、そういうことをよく聞かされてきた。だけど住んでみて今、私はこの街が大好きだ。

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昔から、田舎が嫌いだった。私が住んでいたのは地方のとある都市。田舎というほど田舎ではないし、家から歩いて二十分くらいの距離にはショッピングモールもある。とても恵まれた地方都市である。だけど私は幼い頃(そうまだ小学校低学年の頃にはすでに)「早く都会に出たい」という気持ちがあった。新聞の端っこに載っている「モデル募集!」の芸能事務所は東京のど真ん中で、私は顔が綺麗でも演技ができるわけでも歌が歌えるわけでもなかったが、東京に行く、とうだけでオーディションに参加したいといつでも思っていた。私が考える東京は、高いビルがたくさんあって、道行く人は皆輝いていて、空はいつでも澄み渡るような青空だった。

きっと私は、コンプレックスが大きくて、都会への憧れが強かったのだ。朝の情報番組では「原宿のおすすめスイーツ!」だとか「渋谷にニューオープンのオシャレスポット!」だとか、都会にしかないいろんなものか映し出されている。アナウンサーは、そのおすすめスイーツを幸せそうに頬張り、オシャレスポットを嬉しそうに歩いている。キラキラしていて、自由で、私の持っていないものがたくさん映っている。私はそれが本当に羨ましくて、同時に妬ましくてしょうがなかったのだ。

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あまりに妬ましい気持ちが強すぎて、私は情報番組も、東京が舞台のトレンディドラマも、なんなら旅行のガイドブックも、全部大嫌いで、全部見ないようにしていた。

コンプレックスが酷かったのだ。都会に住む人はいつでも原宿のおすすめスイーツを食べられて、渋谷のオシャレスポットだっていつでも行けるのに、私は指をくわえて見ることしかできない。それが悔しかったし、生まれた場所が違うだけでどうしてこんなにも文化水準が違うのだろうと思い、悔しく思っていた。私もたくさんの文化を受動的に受けられる環境に生まれたかっただけなのだ。

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都会に生まれた友人は「東京なんて、なんにもないよ」とよく言う。詭弁だ。満たされた人間は、自分がどれだけ羨まれる育ちをしているかを理解していない。持っている人間が、持たざる人間の気持ちを完全に理解することは、不可能だ。

歪んだ幼少期から長い時が経ち、今私はあれほど恋焦がれた東京のど真ん中に住んでいる。会社帰りに原宿だって渋谷だって寄れるし、土日は友達と銀座や恵比寿で遊ぶし、東京駅はふらっと立ち寄る場所になっている。都会は、雨が降ってもいつでも澄み渡るような青空だ。それは、私の気持ちの問題だが。私がもし小説の主人公だったら、満たされた今の生活の中でふとした物悲しさを感じたり、都会の豊かさは幻想だ、とか思ったりするのかもしれないが、今ここにただ存在するだけの私には、そんなセンチメンタリズムなど存在しない。

そう! 私は今、本当に幸せなのだ! 何でもある、何でもできる、そんな場所に住んでいて、センチメンタルな気持ちになる暇なんてどこにもないのだ。今を憂う時間があるなら、私は演劇を見に行くしミニシアターに行くし、イベントに参加して楽しく過ごす。本当に、幸せすぎて涙が出そうだ。こんなに私は今幸せで、満たされている! その幸せをたくさん享受して、大いに喜ぼうと思う。だって、今まで妬んでいた小さな私が、今の私と同時に喜んでいるのだから。