数週間前、私は泣きそうだった。堪えていたものがはち切れそうだった。仕事や人間関係はおろか、自分の日常生活すらうまくいかない。先が見えない将来なんて、もうどうでもいい。
全部辞めたくなった。投げ出したくなった。
希望を持つことを半ば諦めた中で迎えた、わずかながらの夏休み。私はあの街に逃げることにした。

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そこは私が大学時代を過ごした街だ。大学時代の私は、たぶん輝いていたと思う。学問に熱心に取り組み、留学や研究などやってみたいことにチャレンジしていた。それができたのは、大学のシステムとそこで出会った人々のおかげだ。

大学だけでなく、街にも助けられていた。中心部から数キロ離れるだけで自然を全身で感じることができる。
桜をはじめとした花々が顔を見せる春。水田で成長する緑色の稲を眺めた夏。銀杏の紅葉が輝いていた秋。キンと冷えた風が痛くも心地いい冬。
身近に自然があるだけで、心にこびりついた嫌なものがすーっと落ちていく。学生時代の悩みを癒してくれたものの1つが、この街の自然だったと言っても過言ではない。
また、私を救ってくれないだろうか。電車に揺られ、その街に向かった。

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その街の駅に着いた。駅ビルには見慣れない店舗が営業しており、駐車場だった場所は何かの施設の建築現場になっていた。数年経ったとは言え、改めて自分は大学を卒業して社会に出たんだと思い知らされる。

私は待ち人と合流した。彼女はかつて大学で勤務していた留学コーディネーターで、学生時代に留学をした際は大変お世話になった。花や暖色が似合うふわふわした雰囲気で、とても優しくフレンドリーな人だ。私が留学で落ち込んだ時はいつも優しく包み込んでくれた。留学中に耐えきれなくなって送った悩み相談のLINEに、彼女はあたたかい言葉で、しかも長文で応えてくれた。
「お久しぶりです!」と声をかけた時点ですでにうるっときたが、これから楽しい時間を過ごすためにぐっと我慢した。

彼女が運転する車に乗り、おすすめしてくれたカフェへ向かった。車中で会話が弾んだのはもちろんだが、目の前に広がり、通り過ぎていくのどかな景色に私は目を奪われた。こんなにも自然が豊かな場所は、学生時代行ったことがない。知らなかったことが惜しい。

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目的地に着いた。田園に囲まれた、ログハウスのカフェ。店内に入ると、木の香りとご飯の香りをいっぱいに感じた。外の田園風景を眺められる窓際の席を選んだ。
彼女おすすめのランチが届いた。品数が多く、無農薬野菜を使ったお膳。栄養価の高くて温かな食事は久々で、五臓六腑に染み渡った。

今の仕事や生活の話になった。自分の今抱えている悩みをそれとなく話していた。
すると彼女は言った。
「今日、あなたの涙を見れると思った。涙は美しいから、泣いてもいいんだよ」
ずっと堪えていた涙が溢れ出した。号泣した。涙の由来は、つらさや苦しみ、悲しみなど、具体的に挙げていくとりがない。
そうか、私は泣きたかったんだ。思い切り泣きたくてこの街に帰ってきたんだ。

ランチの後、彼女はあるところに連れて行ってくれた。そこは山の麓に広がる田んぼの一角だった。畦道に立ち、山から吹く風を浴びた。蒸し暑い夏だったが、心地いい涼やかな風だった。
私はうんと伸びをし、深呼吸した。いつもより呼吸がしやすかった。

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今回訪れたり、通った場所は、思い出の街なのに初めて知った場所だった。それでも懐かしさやあたたかさを感じたのは、私がかつてこの街で生活していたという証なのかもしれない。

また会いに来ると挨拶をし、彼女と別れた。次いつ会えるか決めた訳ではないが、そう遠くない未来に再会する気がした。

鬱々とした日々に戻り、これまで通りの生活を送る。どんなに落ち込んでも、あの街の景色が胸の中に残っている限り、まだ私は頑張れそうだ。
でも、頑張らなくてもいいのかもしれない。「あの街で再び暮らす」という選択肢が増えたから。