私は、12歳からプロテニスプレイヤーになる夢を追いかけていた。
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しかも、普通のテニスプレイヤーじゃ納得できなかったのか、はたまた読んでいた漫画の影響か、世界初の「両方フォアハンド」のテニスプレイヤーに挑戦していた。
「両方フォアハンド」とは右手1本でラケットを持ち、持ち替えて左手1本で打つスタイルのこと。まさに二刀流、宮本武蔵もしくは今で言う、テニス界の大谷翔平になりたかった。
毎日練習、全国に遠征、また地元広島に帰って練習の日々。その中で、怪我もしたりコーチ兼親とケンカしたりと様々な事柄がある中、今思えばどうにか楽しく日々を過ごしていたと思う。
そんな「がんばる」毎日を過ごしている中、世界中が飲み込まれたコロナウィルス。県をまたぐなんて、ホテルに泊まるなんてと日本全国、世界中が活動停止せざるを得ない状況になり、遠征は中止、大会は中止、テニスコートは閉鎖と何も出来なくなった。
まさしく、「がんばる」から距離を置かざるを得なくなったのだ。
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そんな「がんばる」毎日から距離を置いた日々。最初はとても気が楽で楽しかった。
毎日、テニスコートに行かなくてもいい。走らなくていい。トレーニングしなくていい。
少しの間の休憩気分だったが、どんどん不安になった。
「このままでいいのか?」
「他の選手はもう先に進んでいるのではないか?」
「下手になったらどうしよう?」
「がんばる」対象がなくなると一気に仕え棒がなくなったかの如く「不安」に転換された事が、自分自身とても情けなく思う日々だった。
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そんな日々の中、自然と考える事が多くなるのでとにかく思いつく事をやってみた。
絵を描いてみたり、溜まっていた映画を観たり、アニメを観たり。
でも、最終的には外を走って、ラケットを持って素振りをした。両親の見えない圧力と自分のこれ以上の体の衰えは見過ごせない気持ちが体を自然と動かした。
いざ!練習!となった時に、もののけ姫のアシタカみたいに体がなまって、ヤックルの所までジャンプして着地がおぼつかない様な状態でテニスの練習をスタートするのは、私の家族間での評価が下がるのかもしれないのでそこだけは食い止めたいと思った。
久しぶりに出た外の世界。なかなか会えなかった近所の知り合いや懐かしい人と偶然の遭遇で久しぶりに他人と話したりした事が気持ちの窓を開けてくれた。風を中に入れたことで心の中を一掃してくれた様な感覚になった。
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距離やスピードもがんばりすぎずゆっくりのんびり、歩くより速いぐらいのペースで走ってみた。景色や風を感じながら走ると毎日ノルマをこなす為にやっていた日々より少しゴールへたどり着くのがはやく感じた。走るペースはゆっくりなのに、気持ち1つでたどり着く所がはやく、あまりつらく感じないのは不思議だと思った。
素振りものんびり景色を見ながらやってみた。
ふと、スーパースローモーションで素振りしてみようと思いついた。時間がある分、1回のスウィングに時間を掛けてみた。自分の理想のスウィングを考えながら少しずつラケットを振っていく事は自分自身を見つめ直すきっかけにもなった。
死ぬ気で体をいじめてた時は体が痛くてもこんだけがんばってるんだから、成績は出ると思っていた。でも中々良い結果は出なかった。
でも、コロナのこの日々があったから少し人と繋がろうと思い、自分のテニスを見つめ直そうと思い、時間のあるこの時にやった事が自分自身の視野を広げ、許す心、気にしない心を手に入れられた気がした。
そのおかげか緊急事態宣言明け、初めて大会で優勝出来た。今まで見えてなかったモノが少し見えただけでテニス人生の中で手に入れられないかもと思っていったモノが手に入った。
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「がんばる」から距離を置いたことで、がんばっていた時には手にできないモノが現実的にも手に入るのと同時に、目に見えない自分自身への新しい考え方を手に入れられた。
立ち止まらざるを得ない状況だったけど、立ち止まって思いっきりがんばらなかったら自然の流れに乗れて肩肘張らず自然に動き出せた。
自然な気持ちで生きるのは難しいけど、いつの間にかがんばり過ぎていたらこの日を思い出そう。
そして、また自然に動きだそう。
そう思った。