「特になんにもしてないけど、何気ない日常に幸せを感じてるから、現状に満足してるんだよね」。
ガールズトーク中にふと出た私の本音は、「え、それ本当は満足してないってことじゃないの?」という言葉に食い気味にかき消された。
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いや、そんなことはなく、もちろん、彼女のように韓国旅行に行っただとか、元カレを追って沖縄移住を計画しているだとか、そんなキラキラとした日常を送っているわけではない。
でも、本当に、私は、日々の日常を楽しんでいるのである。
自転車で少し遠い街に出かけたり、図書館で本を読んだり、ウォーキング中に空想に耽ったり。
私みたいな人間は、行きたいところに行く、やりたいことをするにも、気力と体力がいることを、彼女はよく理解できないみたいだ。
現状に満足はしているが、私だって、キラキラした他人を見て羨ましく思うことはある。
ただ、それは、隣の芝は青いと同じように、たかが無いものねだりで、実際私がそれを行動に移して韓国旅行に行ったとしても、どっと疲れて「大金叩いて何やってんだろ」と思うだけなのは、長年の人生経験からわかりきっているのだ。
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「家にずっといるのもいいけどさ、人生一度なんだからさ、色々やってみたら?暇じゃない?」軽く鼻で笑いながら、彼女はそう言う。
「人生一度きりなんだから、できるだけ不快な思いなんてしたくないし、心と体を疲れさせてまで家から出たいと思わないんだよね」なんて言っても、彼女には言い訳に聞こえるだろうから、口を噤んだ。
生きるのが苦しい私と、生きるのが楽しい彼女では、好き同士なのに、友達でいたいのに、話が噛み合わないみたいだ。
それってすごく悲しい。
彼女と話していると、私はやっぱり普通じゃないんだって、自分を責めてしまって、それ以上彼女と話す気が起きなくなった。
アラサーにして、ようやっと最近、日常に幸せを感じられるくらい、生きることへの余裕が出てきた私だが、大学時代の友人である彼女との人生の進み具合に、また自分を責めてしまう。
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彼女に悪気はない。無知は残酷である。
ただ、「そんなことで勝手に傷ついたお前が悪い」と言われれば、弱すぎる私が悪いということで、ネガティブな私の中で決着がつく話なのである。
「知らない」のが悪いのか?「敏感すぎる」のが悪いのか?
きっと、どちらも悪く無いから、もっとタチが悪い。
彼女を否定したくないし、私も否定されたくない。
私は、彼女と私の「違い」を、敬って大切にしたいし、されたかったのだ。
本当は私だって、「服やコスメ買いに韓国?え?通販にあるじゃん。浪費じゃん」って思ったし、「いや、振られてるのに沖縄に追いかけて行くとか、ポジティブすぎて気持ち悪いわ」とか思ってしまったのである。
湧いてくる感情を止めることはできないが、でもさ、口に出すのは違わないか?
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彼女とのガールズトークの中で、彼女は1ヶ月前に振られた元彼について「嫌なことも何個かあって我慢してたけど、一緒にいて楽しかったから好きだった」と言った。
私は8年間付き合っている今の彼氏について「一緒にいて楽しい人より、嫌なことをしてこない人が好き」と言った。
人生を歩む上で、旧友と、どんどん違ったライフステージや価値観に突き進んでいくことは免れない。
それまでの人生で培った自分の価値観を持ちながら、違う価値観の相手と話すのは、正直イライラしたり、傷ついたりするものであり、正直、疲れるのだ。
疲れるくらいなら関係を断つタイプの私は、価値観が真逆な彼女と、この先、一緒にいられないのだろうか。
ずっと友達でいたいけど、自分の心を守ることは、わがままなのだろうか。
難しい人生の岐路に今、立っている気がする。