高い声域から順に、ソプラノ、メゾ、アルト。十二歳から十五歳の私は、部員のほとんどが女子の合唱部で、このように編成される女声三部合唱に取り組んでいた。夏のコンクールに出場するとき、部員それぞれが担当するパートは先生が決める。声が太めの私は、入部した日にアルトを任され、ほとんどそこから動くことがなかった。アルトへの愛着は小学校での活動ですでに芽生えていたから、主旋律を歌う花形であるソプラノへの羨望はほとんどなかった。二年生のコンクールでいい結果を残せたから、来年もアルトを担当して、もっと上の賞とか大会とか、そういうものを目指してみようと思った。
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しかし、春が来るころには部活どころか学校も強制的にお休みになってしまった。たぶん、規模やジャンルにかかわらず、ステージに立つ世界中の人たちが悩んだと思う。運動部の大会の中止が発表された時期に、合唱部にも同じことが起きていた。運動部は総体の代わりの試合をする、ならばと先生は演奏会を開くことを決めてくれた。それに、後から聞いた話だけれど、演奏会の練習の期間とその後の受験対策の期間のバランスを、他の先生たちとも話し合ってくれたそう。本番は八月の下旬。
賞にこだわらないからか、私たち三年生には後輩も含めた各自のパートを自分たちで決める権利が与えられた。私には、どうしてもソプラノを担当したい曲があった。私がまだ合唱も知らないほど小さい頃にコンクールの課題曲だった「証」。理由は未だに分からないけれど、思いつくのは友人の存在。
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その友人は私よりも何日か早く入部して、アルトで先輩と歌っていた。入学式の次の日に、初対面で名乗りもせずに声をかけた私のことを、彼女は怖いと思っていたらしい。本当にごめんなさい。でも、私がアルトに入ると、パート練習ですら緊張してしまう私を一歩だけ前で導いてくれるようだった。私が壁にもたれようとして転ぶと、誰よりもオーバーに、心配しながら笑ってくれる。少しずつ、呼び捨てしたり、休日の練習後にショッピングモールに行ったりする仲になった。それと同時に、声の変化に伴って彼女がソプラノに移ったのが切なくもあった。
久しぶりに同じキーボードを囲んだ。もう私たちが先輩なんだな。音楽室の明かりのスイッチの近くに、私は立っていた。立つための体力がないから、ちょっともたれたい。パチッ。音楽室の明かりが消えた。
「ごめんなさい、もたれたら消えました!」
私が全員に向けて言う横で、友人はまた笑っていた。慣れないから高い音は安定しないし、リハーサルの時は定位置のアルトに行ってしまい「れな、こっちでしょ!」と言われるし。それでも温かさを感じる時間だった。
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演奏会本番、「証」は序盤に歌うので、とにかく喉を使った無理な高音を出さないことを心がけていた。合唱曲でよくある転調、私はここで泣きそうになった。実際、感情の高ぶりで最高音は少しだけ上ずっている。でも、コンクールじゃないのが、本当に救いだった。
友達とやりたい、なんてことを部活に持ち込むのはここで区切って、そこからはアルトに徹した。やっぱりアルトっていいな。ソプラノは花形だけど、私がしたかった理由はソプラノの輝きではなく友人との繋がりだった。私がそう言語化できるのは、オリンピックが東京とパリの二回開催されてからになる。終演後に撮った二人の写真、目がうるうるとしているけど、アプリの加工かもしれない。楽しかったから。
友人は、大学生になった今も合唱を続けている。私は中学校卒業以来、どこかに所属しての合唱をしていない。共通点は少なくなったけれど、たまに会えばその数時間は音楽の時間になる。でも、まだ望みどおりじゃない部分もある。友人の言葉で嬉しかったのは、「また一緒に歌おうね」よりも、「また一緒に練習しようね」だったから。
ねえ、私が小さめのキーボード持って行くけん、また一緒に音取りせん?