今年の夏に父方の祖父が亡くなった。
私の父は私が19歳の時に亡くなっており、長男であった父の代わりに娘である私と妹も遺産相続の話に関係することを前々から風の噂で聞いていた。
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父方の妹(私からすると叔母)たちは、私の母や姪の私たち姉妹に代わって、葬儀からお金まわりのことまで全て手続きをしてくれていた。
これまで母と叔母(嫁と小姑)の交流を少しでも減らせるように奮闘していた私は、叔母たちから母への嫌味を聞き、サンドバッグの役割を果たすこともしばしばあった。
だから少しでも叔母たちの手続きをサポートすることで、母への被害が及ぶことがないようにと思い立ち、遺産相続の話題を挙げた私。
すると、叔母たちは「リサちゃんが遺産を全部欲しがっている」と飛躍した解釈をし、母に連絡がいったのだった。
「私の行動心理を母ならきっと理解してくれる」と期待したことが大きな間違いだった。
「リサちゃん、なんでそんなこと言ったの!?」
これまでずっと我慢してきた母の発言に堪えきれなくなった私は、電話口で「そうやっていつも私のことを信じとらんよね!?もういい」と吐き捨てて、母の連絡先を全て着信拒否に設定した。
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幼い頃、ワンオペ育児による育児ノイローゼや更年期に苛まれていた母を見てきて、母のママ友と会話することのほうがたやすかった私。
心配性ゆえに過干渉な母は、私がすることなすことに「なんでそんなこと言うの!?」「なんでそんなことするの!?」と、痛烈な批判に似た“不正解”を叩きつけていた。
そんなわけで、母と比べて“不正解”を叩きつけない母のママ友と会話することのほうが気が楽だった。
だから、母のママ友の会話に聞き耳を立てて、分かるところで参加することが好きだったのだが、その度に母の“不正解”な発言や立ち回りをしてしまっていたようで、帰宅すると「なんであんなこと言ったの!?」という人格否定に近い“反省会”が行われた。
こういった「毒親論争」を展開すると、「親はあなたにとってたったひとりなのよ?」とか「親は先が長くないんだから大事にしなさい!」といった叱咤が飛び交うだろう。
私は母の“不正解”に怯えてここまで来たのだから、このエッセイでくらい「よく頑張った自分の過去」を吐き出させてほしい。
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遺産相続問題をきっかけに、私は嫁姑の間に入って立ち回る潤滑油としての重圧から解放され、長女であることやいい娘でいることを辞めた。
そういった経緯を定期的に通っている臨床心理士の先生に話したところ、「リサさんは愛着障害のように、自分が欲している人に振り向いてほしい反面、好意を寄せてくれる人に気がつかないところがある」と、目から鱗な指摘をされた。
その上で「これからは誰からもいい人と思われるよりも『どういう自分でいたいという基準』をつくると立ち振る舞いやすくなるわよ」とご助言をいただいた。
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先日、友人の彼氏がメンヘラだという話を聞かされた。
「推しのアイドルが出ているドラマを観るな」とか、「前の男と付き合っていた時に購入したものは捨てろ」といったモラハラ発言が連発したが、私は耳が痛くてたまらなかった。
かつての私も友人の彼氏並みのメンヘラで、似たようなことを言った経験があったのだ。
友人の彼氏も私と一緒で、親からもらいたかったものは正解や不正解の善悪をつけることではなく、「あなたはあなたのままでいいよ」と、人を傷付けていない行動ならばまるっと肯定してもらうことだった。
起こした行動を肯定してほしいとずっと思ってきた友人の彼氏や私のような人間は、その時にできたパートナーに対して、親から貰うはずだった自分自身の存在意義を乞う。
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そして「メンヘラ」という言葉で一括りにされて、パートナーからは厄介者扱いされてフェードアウトされるオチなのだ。
私は友人の彼氏をかつての自分自身と重ね合わせて「『あの時にこうしてほしかった』っていう過去の感情に対して、自分自身が親になりかわって寄り添ってあげられるようになったら生きやすくなるだろうな」と思いつつ、親の“正解”という呪縛に苦しんでいる人は少なくないのだなと気付いた。
そんな呪縛に苦しむ人たちが「どういう自分でいたいという基準」を見つけて、過去の感情に寄り添ってあげられますようにと、秋の夕暮れに祈る。