晴れ。ひさしぶりの土曜休日は、すばらしい快晴でした。いつもは昼まで寝ているけれど、用事があって平日と同じ時間に目覚ましをセットすると、カーテンの間からまっさおな空がのぞきました。
シャワーをあびて化粧をして、ごはんはどこか外で食べよう。
心に決めて、えいやと布団を蹴飛ばします。室内はまだ少し冷たくて、3月の北海道であることを思い出させました。

心躍る春の訪れを味わうため、海辺で1人ピクニックランチを

わたしが暮らす北海道の左上(※留萌地方)には、冬が長く居座ります。風が強く雪が降り積もる冬のあいだ、誰もが家の中に閉じこもり、じっと暖かくなるのを待ちます。3月になって雪が溶けて、4月になって気温が上がって、5月になって桜が咲いてようやく、人々がそろそろ家から出てくるのです。
春夏秋冬などといいますが、四季が平等にやってくるかといえば、そうではないように思います。それほど、北海道の左上にとって、冬は長く厳しいものでした。

だから、春の訪れにはひときわ心躍ります。
その日玄関を開けると、風も穏やか。春と言うにふさわしいお天気です。路肩の雪はまだ高く壁をつくっているけれど、軒先からパタパタと雫の落ちる音がしました。用事は午前中いっぱいかかって、ようやく息をついた頃には、太陽はいっそう高く登っていました。
さて、ごはん、どうしよう。

休日。まっさおな空。風は穏やか。昼少しまえの時間。
外でランチをしたいな。ピクニック、楽しそう。
そうだ、海でパンを食べよう。
パン屋さんで甘いパンを買って、カフェでホットコーヒーをテイクアウトして、波の音と潮風をうけながらランチをしよう。好きな音楽をかけて、1人だけで春を味わおう。

母は「変だよ」と言うけれど。海辺で1人パンを食べる最高の休日

「それ、変だよ」
母に言われました。その日の夜、電話がかかってきました。雑事と近況報告をして、「きょうは何をしていたの」と言うので、「海でパンを食べていた」と返しました。

土曜の昼下がり。女1人。海辺で音楽を聞きながら、パンを食べていた。

「変だよ」
「でも、晴れの休日に外でランチしたいと思うのは普通でしょ」
「そうね」
「海辺で、女の子が2人3人あつまってピクニックするのは楽しいでしょ」
「うん」
「晴れの休日、海辺で、女の子が1人、パンを食べるのだって最高じゃない」
「変だよ」

母は言うけれど、わたしはちっとも、そうは思いません。女の子だから?1人だから?海でパンだから?そのいずれか、あるいはそのすべてが合わさっているからか。確かに、知らない誰かさんから見れば違和感のある光景かもしれないけれど、だからと言って、第三者視点の違和感を理由に、わたしが楽しいことを諦めるのは、ちょっと違うと思うのです。
女の子だろうが1人だろうが海でパンだろうが、楽しいものは楽しい。やりたいことを実践するのに、何を臆することがありましょう。

ひさしぶりの、よく晴れた休日。海辺で1人、甘いパンを食べた休日。髪をさらう風はまだ強く、波音はごうごうと大きく響いていたけれど、その日わたしは、たしかに春の訪れを感じたのでした。