憧れとは、自分の理想の姿のこと。
自分が自分に憧れているなんて人は、見たことがない。つまり、人は自分に無いものを持つ人を見てそれを手に入れたいと望む欲こそが憧れの原点なのではないかと思う。

世の中に子供の頃の夢を叶えた人はどのくらいいるのだろう。
私の憧れは、看護師だった。
風邪を引いた時、怪我をした時、注射で泣いた時、母親の次に親身になり心に寄り添ってくれた看護師たち。

人と人を繋ぐクッション材みたいな存在。傷ついた心や身体を癒し、笑顔にさせるそんな存在。

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誰かの役に立ち、必要とされる。

さらにお金がもらえる仕事を見つけた瞬間だった。
歳だけとり大人になっても、働かなければ生きてはゆけない。
人生はあっという間なのだから自分がやりたいと思えることを生業にしたい、そう思った。

中学三年生の受験シーズン。友達は現実と向き合いそれぞれ目指す職業を変えていった。
そんな中、私は夢を諦めたくなくて、もがいていた。
中学時代、頭が悪かった私は熟慮の精神が足りず焦っていた。最短で憧れていた看護師になるためには、中学卒業後は五年一貫校に入学し20歳で看護師になるんだ、なんて夢を描いていたのだ。

「貴方には目標が高すぎる。まずは高校で普通科に入り大学から看護師を目指すべきです」

自分なりに考えて話した夢は、母親以外には現実的では無いと最後まで認めてもらえなかった。
憧れた夢を曲げない私を一部ではバカにされたし、将来はマヨネーズ工場だ!(私のクラスでは工場勤務が軽んじられ、何にもなれないような差別的な意味で使われていた)なんて学力の差から聞こえるようにからかわれたりもした。

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必死の努力の末、無事合格し入学が決まった。
その際に、「倍率も高かったし正直落ちると思ってた」と言われた。担任から軽い笑顔と共に言われた言葉にズキズキと胸が痛んだ事を覚えている。
私の憧れへの熱量を軽く見られた事に腹が立った。

自分は、バカにされても最後まで味方であり続けてくれた母親が居たからこそ夢や憧れを追う事が出来た。

しかし、そうなりたいという欲の原点である憧れを周りに奪われ、こんなはずじゃなかったと思いつつ毎日働く人も多いだろう。

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「大人」が近づいてくる度になりたい姿は邪魔をされて見えなくなる。
それも大人になる過程と考え、なりたい姿と今の自分のギャップを理解し現実と向き合う事ができて初めて子供から大人に変化するのかもなと思ったりもした。

努力の五年、学生時代を乗り越えていざ憧れの隣に立った私。
最初の半年は、理想の自分になれたはずなのに現実は辛いことばかりだった。

一ヶ月目は環境に慣れず体調を崩した。
三ヶ月目は人の死生観に触れ延命や治療を望まない選択に苦悩し涙を流した。
そして六ヶ月目に、人の死に触れて助けられない命があり笑顔だけの仕事ではないと知った。

誰かの役に立ち、必要とされる。そんな看護師に憧れ夢は叶ったが、その先で見えたものは甘くなかった。
今の私は、看護師という憧れについてこう考える。

生と死は皆、平等に訪れる自然現象である。
そして、看護師とはその人がその人らしく生きるために手助けをする仕事である。
その過程で得られる幸福や不幸は分かち合い、けして看護師という仕事に胡座をかかず誠実に働くこと。感謝や笑顔は当たり前ではなく相互の信頼の上に成り立っている奇跡であると。
それが分かって出来て初めて真の看護師であり、今私が憧れるなりたい自分であると。