私は私の名字が大好きだ。レアで、それでいて漢字は簡単だから書くのに苦労しなくて、なんといっても、すごく格好良いのだ。

親不孝者でお恥ずかしいが、下の名前が好きじゃない時期もあったけれど、いつだって名字は素敵だと自負していた。自分の中で最も誇れる要素だとさえ思う。

読み方が珍しいから一発で正しく読まれることの方が少ないけれど、実はこう読むんです、と伝える手間だったり、場面によってはあえて訂正しないことを楽しんだりすることもあった。

学生時代は、殆ど名字で呼ばれていた。呼び捨てにされたり、ちゃん付けされたり。そんなこんなで、名字はすっかり私の重要なアイデンティティとなった。

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だから私は、将来もし結婚しても、今の名字を捨てたくないと考えている。大事な大事な、私の一部なのだから。好きな人の名字になりたい、とも思わない。
しかし、まだまだこの世の中、婚姻時に女性の名字を通そうとすると不義だと言われたりする。多くの人はなぜ男性側の名字になることが当然だと考えているのだろうとすら思ってしまう。それにはもちろん家制度という歴史的背景があるのは百も承知だが、感覚としては反発したくなる。

SNSでこのような内容の投稿を見た。

女性側が自身の名字が珍しく、アイデンティティを守るために妻の姓を選択することを、夫となる人に了承してもらった。しかし、彼の両親が猛反対し、夫婦別姓制度の成立まで内縁の妻として過ごせだとか、とりあえず夫の姓で婚姻を結び、制度成立後に離婚して結婚し直せだとか言われた、と。女性はアイデンティティを心のうちにしまうしかないのかと悩んでいる…

結末を言うと、なんとこのカップルは婚約破棄に至ったのだ。名字を巡る軋轢で結婚を取りやめてしまうカップルがいるという事実に驚愕し、非常に落胆した。

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更に驚いたのは、彼女の投稿に対するリプライの内容だ。

「名字を変えると仕事で困るのか」、「名字が途絶えてしまうのか」、「アイデンティティのため“だけ”なのか」このような、アイデンティティを軽視する発言には悲しみと怒りを抱かざるを得ない。

逆に、仕方なく夫側の名字にした女性の意見も散見した。「結婚後2年経っても嫌だ」、「自分が無くなったようで悲しく悔しかった」彼女たちの悲鳴に共感する。

アイデンティティを守りたいという気持ちは非難されるべきものではないはずだ。もちろん、夫となる人やその家族だって名字を大事にしていたり、思い入れがあったり、アイデンティティだと思っている人が大勢いるだろう。

それは間違いなく尊重されるべきだ。この考えに反発する人は少ないのではないだろうか。それでは、妻側にも同様のことを認めてほしい。私はこう訴えたいだけだ。法律上認められているにもかかわらず、性別が変わるだけで、許容されるはずのことが謝絶されるのはおかしい。

アイデンティティを失うことは、自分の一部を、場合によっては全てを失うことに他ならない。その重みは、いつ社会に、行政に伝わるのだろう。

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相手を好きなら女が名字を変えるべきだと安易に結論付けてしまう姿勢はいかがなものか。私に言わせれば、思考停止状態に他ならない。

もし私が夫婦別姓が認められないうちに結婚したいと思ったら、夫となる人に私の名字になってもらうか、事実婚を選ぶか、はたまた同性とパートナーシップ制度を利用するか。

好きな人と結ばれたいと思っても、婚姻届を出すのは容易じゃない。なんと悲しい社会だろう。