私はよく、人から「頑張っている」「頑張りすぎている」と言われることがある。勤勉な人間でないことなど自分が一番分かっている。しかしそう言われてしまうことにも心当たりはある。それは、これらの言葉の前には「たった一人で」という意味合いが省略されているからであろう。私は個人経営の飲食店を一人切り盛りする店主である。そして、表向きはオーナー店主ということになっている。とある箔付けのためにそのようにしている。日々の営業は所謂「ワンオペ」で運営している。人員が一人であるから、人々の目には大変に映るのだと思っている。

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ワンオペ店主歴は、学生生活を終えて社会人になってから、細かく言えば大学4年生の頃からであるから8年近くになる。この8年近く、ずっと「頑張っている」と言われ続け、果てには「働かされ続けている」と哀れみのような心配までされてきた。その哀れみのような心配に関しては、大多数の企業のような労働時間や休日など、労働基準法からは外れている部分もあるからだろう。しかし、それはあらゆる業種であろうと経営者になればその限りでない場面もあるように、確かに私は厳密には雇われ店主だが経営者の部分もある働き方をさせて貰っているからだと思っているし、誤解は招きそうだが私はその部分に関してはそれ程の不満はないのだ。楽ではないが、人とは違う、恐らく己にあった働き方をさせて貰っていると思っているから良いのだ。

ワンオペ店主歴が伊達に長くなってしまったものの、名実共に正真正銘のオーナー店主になるということは今のところ無いまま、ただ歳と経験を重ねて来てしまったように思う。日々、ただ一人で店を開けて居るだけで、私は全く勉強を行って来なかったと感じている。新しいメニューをどんどんと導入するだとか、売上や交流の為にレクリエーションを計画するだとか、経営にまつわることを学ぶだとか、そういったことはあまりというか、殆んどして来なかった。変化や進歩に疎く、馴れていることの中で日々を送っていきたいというのが本音であった。そういう姿勢で居たから、雇い続けて貰っているオーナーは同一であるけれど、今日に至るまで全部で3店舗の店に雇われ一人店主として勤めてきたが、それは結果として閉店しては、店ごと移ってきて、の繰り返しであって私が3店舗を束ねてきた敏腕店長ということではないのだ。

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しかしそれでも、今現在勤務している店舗の新規オープンの際はこれまでの異動とは心構えが違ったと思っている。相変わらず人員は一人で、ワンオペ店主であるけれど今回は「オーナー店主」というていになっているからであった。そして、先に言及した「とある箔付け」というのはイメージ戦略の1つとして「20代の女性オーナー店主が切り盛りする店」と謳うことにしたのだった。そしてその戦略は一応、当たったと言えるだろう。お客さんをはじめ、近隣の店舗のオーナー陣からも気にかけて貰えて、口々に「あそこの店は女の子が一人で頑張っていて、元気があって、味も旨い」と言って貰えることが多かった。

私は、調子に乗っていた。オーナーには以前から徹底しろと言われていた清掃や仕込みをサボりがちになってきていた。しかし、そんなふうに少々いい加減にやっていても、客足は増えていて「私は頑張っている、たった一人で!」と心のどこかでは思っていた。このままではボロが出始めて、客足が減ってしまうよ、と言われることもあった。しかし、とにかく店を開ければ良い売上が叩き出せる、と。オーナーに口酸っぱく小言を言われようとこの店を繁盛させて回しているのは私なのだ、と。常連と呼べる程に足繁く通ってくれる人々は皆、私のファンなのだと、と調子に乗り続けた。嬉しい悲鳴を上げながら、汗をかいて営業する日々の中で私は天狗になっていた。

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しかしとうとう、メッキが剥がれて来た。時間が経ったこともそうだが、あらゆることが疎かになってきた。掃除が行き届かなくなり、仕込みを怠り始め、客をなめ始めた。その結果、害虫が出るようになり、固定客もついてくれているものの、私も客側もマンネリ化を感じ始め、暇な日が多々目立つようになってきた。これまでの忙しくも心地よかった日々は、立地のおかげ、オープン景気のおかげ、女性店主が一人で切り盛りしているというイメージのおかげで、数ヶ月間賑わっていたというだけなのに。私の力ではない。歩みが止まっていた。

オーナーに言われていた通りになってしまい、分かりやすく閑古鳥が鳴き始めた店の中で私は己がぬるま湯に浸かって、歩みを止め続けていたことに気がついた。休みは少なく、労働時間も長く進み続けてはきたけれど、それは「歩み」ではなかったと感じている。

私はまた、歩み直せるだろうか。歩み出せたとして、マイナスを埋めてさらに上へと登れるだろうか。すべては、己次第だ。最後の20代で歩み方を思い出したいと、かつてはまだこれからの来店すらあった閉店時刻の1 時間前、客が全員帰り、静寂の訪れた店の中で、強く思った。