先日、四半世紀使ってきた名字が変わった。結婚したからである。実にめでたい。だが実感はまだ湧かない。
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名字を変えるとなにかと大変だとは聞いたが本当に大変だった。そのことについて語りたい。
まず、ご存知だとは思うが公的書類の名前が一切変わる。マイナンバーカードやパスポートなど、全ての名字を新たなものに変えねばならない。この手続きが厄介だ。ただでさえ転居届などを書かねばならないのに、名義変更までせねばならないなんて面倒くさい。
また、私が1番懸念していたことは、私が書いた論文が見付けづらくなることである。旧姓で書いていた論文が、探しにくくなってしまう。これから先、おそらく私は新しい名字で論文を書く。そうすると、初期のものが探し出せず、読んでもらえなくなる可能性が出てくるのである。
これは大学時代のゼミの先生も仰っていて、ずっと気にしてはいたが、やはり悲しいことである。今までの研究が無かったも同然になってしまう。
それなら旧姓で書けば良いのかもしれないが、新しい姓に馴染むためにもこの新しい名字で論文が書きたい、というのが本心ではある。なりたかった名字でもあるし。
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その点の打開策として、「ORCID(オーキッド)」というものがあるらしい。いわゆる識別IDである。この16桁のIDを併記すると、過去の論文とも照らし合わせることができる。IDには氏名や連絡先、所属機関などの基本情報に加え、学歴・受賞歴や研究業績を紐づけることができ、公開範囲も設定可能である。論文を登録する際、「別名」という欄に改正前の氏名や英語表記などを複数追加することも可能だという。
それは確かに便利だとは思う。
だが、なぜそこまでしないといけないのか、とも思う。
名字くらい好きに変えたいし、そのときわざわざIDを作るなんて面倒くさい。でも好きに変えたいならIDを持っておくべきなのか。悩ましい。
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このような悩みを持つくらいなら、私の名字にしてもらえば良かったのだろうか。最近そう思うことが増えてきた。でも、そうしたら主人も大変である。結局どちらかが大変な思いをしなければいけない。それでは解決になっていない。
名字でこんなに悩むとは、思ってもみなかった。こんなに繊細な問題だったとは。
夫婦別姓が提案されているこの世の中、もっとその議論が進めばいいと思う。私は当事者になって、夫婦別姓も良いのではないか思い始めた。
頑なに同姓、それも男性の名字に変えるのが当たり前、という風潮は何なのだろう。もっと柔軟に考えても良いのではなかろうか。明らかに不便な世の中である。
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夫婦別姓に反対の意見を読むに、あまり納得できないものが多い。「家族の絆」「子供が可哀想」そして「世論の動向」。こんな理由で我々は困らねばならないのか。
どうか政治家のお偉方には、名字を変える大変さをもっと知っていただきたい。そして歩み寄りをして欲しい。切に願う。