私はとんでもなく記憶力が悪い。

幼稚園から高校まで一緒だった幼馴染と昔話に花を咲かせていても、「あれ、そんなことあったっけ?」となるのは大抵私の方だ。
十年以上前のことなら仕方ないと思っていたけれど、先日大学時代の友人と再会したときも同じように記憶をなくしていたのは私だった。

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それでも、ふと懐かしい匂いを嗅いだときに記憶が鮮明によみがえるあの現象は何なのだろう。あの現象を表す単語があってもおかしくない(知らないだけであったりするのかも)。
今まで思い返すことなどなかった、特別ではない日常の些細な思い出がくっきりと脳内で再生される。

まだ携帯電話が一部の人にしか普及していなかった小学生時代、私なりの好きな人へのアピールは物を借りることだった。
教科書を忘れたときに席を寄せ合って一緒に授業を受けたこと。隣のクラスの子を好きになったときは、その子と同じクラスの同級生に教科書や文房具を借りにいって、ついでにお顔を拝んでくることもざらにあった。ませた小学生である。
教科書や文房具もいいけれど、CDや本を借りることができたときは万々歳。
好きな人の好きなものを知りたいし、知ることで共通の話題ができる。

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ある日、ついに好きな人の本を入手した。わくわくしながら一人部屋で本を捲る。
本を開いた瞬間のあの匂い。少し古いような、深いような、どこか懐かしいような。
私はすっかりその本の匂いの虜になってしまった。
きっと本の匂いだけではないからだろう。同じ匂いに出会うことはそのとき以降ほとんどない。
それでもまた同じ匂いに出会ったとき、私は瞬時にこの思い出を頭に浮かべるだろうという確信がある。

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柔軟剤の匂いもまた思い出が詰まっている方が多いのではないだろうか。
憧れの上司の柔軟剤の匂いも印象的だった。少し強めの香りだったが、憧れというフィルターがかかっていたからか、不快に感じることはなかった。

憧れと異性としての好意の違いがよくわからなくなったとき、初めて二人きりで食事に行った。
大人数が苦手、かといって二人きりでの食事も苦手、さらには数日後の予定を立てるのも苦手、という三本仕立ての中よく誘ってもらえたなと今になって思う(それでも、それ以上の関係にならなかったことはお察しいただきたい)。

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一軒目に美味しいお肉をご馳走になって、その後近くにおしゃれなバーがあるということでそこに移動した。
ただそこで何を話していたのか、今となっては綺麗さっぱり記憶の彼方だ。

少し肌寒くなってきたちょうどこのくらいの季節だった。バーを出て、寒いですね、と声をかける。

「これ、かけとき」

ふわっと肩から香る柔軟剤。その匂いとジャケットの温もりは、今でも鮮やかに思い出せる。

忘れられない匂いは、そのときの体温や情景も一緒に運んできてくれる。
忘れてしまった過去も、またいつか私のもとに流れてきてくれるだろう。