私がよく名字について思うことは、私の先祖はどういう人だったのだろうか。
具体的に言えば、今では名字を見るだけで自分の先祖の歴史が分かるらしい。例えば、田んぼの田が名字に付く人は農業と密接な関係があり、農民の可能性が高いと言われている。説なので本当かどうかはわからないけど、でもそういう話を知った時に私の胸は高鳴った。
どんなに頑張っても二次元の世界ではないので、江戸時代にいる自分の先祖には会えない、そんな当たり前の世界でも自分自身の歴史を想像で遡るのは面白い。読者の方は、先祖のどんな姿を見たいかな。
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私は、先祖が何に悩み・苦しみながら生きてきたのかが知りたい。そして、今よりもずっと文明が栄えてはいない世界でどうやって自己を表現していたのか、これらが気になる。
まぁ、もしかしたら今も昔も悩んでいることは変わらないかもしれない。それでもどんな風に生まれ、どんな風に生き、どんな風に死んだのか、私には興味があった。グーグル先生に過去に戻る方法を聞いて実践したが、どれも結果は変わらない。先祖について考えた時、ふと思った。多分先祖の方々はこの空の上からモニターみたいなので、私のことを見ているかもしれない。
その時皆、今の私に対してどう思うのだろう。よく人間関係で悩み、HSPで馬鹿みたいに気疲れをして、すぐ泣く私をどう感じているのか。是非それについて対談してみたくなった。多分先祖は、数えきれない程の大群だろうけど、私は全員と話したい。
そして、この社会でどんな風に生きていけばいいのか私に教えて欲しい。でもきっと怒る人もいるだろうな。先祖の時代は、食べる物、眠る場所、そして争い、明らかに今よりも昔の方が生きていくだけで精一杯だ。
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今の私が抱えている悩みなどもどうでもいいと思えるくらい、過酷な人生だっただろうな。だからこそ、そんなに安全が保障されていて、食べ物にも困らない生活で何に不満を抱いているんだ、もっと頑張れ!とか説教くさい言葉をおばさんやおじさんに怒鳴られたりして。考えただけで最悪な気分だ。
現実でも怒られ、想像の世界でも怒られていたら身が持たないわ、普通に。でもその中で、一人くらい似たような悩みを抱えている先祖が居たらいいな。うちら代々こういう所で悩むよねとか、こういう考え方をして結局病むよねとかあるあるを語りながら、手を叩いて笑い合うのも面白い。そこに大好きなお菓子とココアがあれば最高だなとか思ったり。
怒られ、笑い合えば、次は悲しみの話かな。生きること自体が大変だった世界で、今の私には想像も出来ない程の苦しみや悲しみ、そして理不尽と向き合ってきたのだろう。
こんな私では共感さえおこがましいと感じる。人は死ぬ前に、もっとこうすれば良かったと後悔を感じる人もいる、そんな風に嘆く先祖を前にして私はどう思うのかな。私の人生は決して甘くはなかった、沢山沢山人や物を傷つけ、また人やモノに傷つけられ、耐えて耐えて生きる日々だった。ただ先祖と私には決定的な違いがある。
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当たり前のことだが、敢えて触れる。それは今の私には後悔の先があること。つまり、常に死と隣り合わせな人生でも、何かを変えることが出来るということ。先祖の方に、貴方達の思いを大切にして強く生きていきます、とは到底言えない。
言えないけど私も私なりに辛い思いをしてきた。だからせめて、この苦難と苦悩を無駄にしない様に私のペースで生きていきますと伝えたい。もっと頑張れと思う日もあるかもしれないけど、貴方達が感じた全てを今の私が大切に育てていきたい。
そう話せば、笑ってくれる人もいるかな。叱咤激励を飛ばした先祖も、あるあるを語り合った先祖も、嘆いた先祖も、みんな。生きることが嫌になる日々だけど、生きていられる自分にも目を向けることは必要だ。そんなことを考えていれば、いつの間にか日付は超えていた。明日も仕事だ、自分と先祖の為に明日も生きてみようかな、今の私らしく、そう感じながらおやすみなさい。