小さい頃から人一倍自立心があった私は、小学校中学年くらいの時には一通りの家事ができるようになった。しかし家を出てひとりで生活する上で、いつも家事のクオリティを保つことは難しいことを実感している。

料理は料理と呼んでいいものかと思うほど乱雑になり、嫌いな洗濯はためにためた挙句、人にやらせる始末である。洗濯に至っては、嫌いな家事というテーマで、謎の熱量を持って書けた。

◎          ◎ 

家事と言っていいのかわからないが、好きだなと思えるのは服の整理や衣替えかもしれない。家の事、と言う意味では当てはまると思う。掃除や料理や洗濯のように、頻度の多い家事よりも、年にする回数の決まっている家事の方が、特別感がある。そして特別感のある家事には、丁寧に向き合える気がする。

3年前、人と暮らしていた家から今の一人暮らしになった私は、信じられないくらいの量の服を捨てた。そこで気付いたのは、私の持っている服に季節感がないことだ。

年中ベージュやグレーやネイビーを着ていたし、ピタッともだぼっともしていない微妙なサイズ感の服を、寒かったら重ね、暑かったら薄着にしているだけだった。季節外れではないし、その当時その服を着ていて気分が上がらなかったわけではないのだが、なんというか彩りがなく、歳の割に老けた印象だったと思う。

私の服には四季の美しさがない。衣替えというイベントはほぼなく、寒いからコートを出す。くらいのものだった。季節の移り変わりを実感することはほぼなかったと思う。

今は各季節、選抜されたなるべく少ない服と暮らしている。そして定期的にレギュラーの入れ替え、引退勧告、異動通知(妹にあげる)を繰り返している。

◎          ◎ 

今は季節が変わっていくのを感じるのが大好きだ。今している衣替えは、それをわかりやすく反映している。

衣類がある場所は3ヶ所。衣装ケースが1シーズンにひとつ分の4つ入っているベッド下。下着や靴下を入れる通年のバスケット。10着前後服がかかるハンガーラック。服が入る押し入れや収納スペースはない。約半分の服は、ハンガーラックにかけた見える状態で収納する必要があった。

衣替えといっても、衣装ケースの位置を変えるだけで事実上ほとんど終わってしまう。しかし、ハンガーラックの季節を変えるのが楽しい。

冬に出したダウンやコートは、ストライプのシャツや、春色のトレンチコートになる。夏が来ればノースリーブのワンピースとリネンのシャツ、クリアバックになるし、また秋が来れば薄手のニットとロングスカートになる。家具の配置を変えることはできないが、部屋のインテリアにもなっているハンガーラックは、季節ごと装いを変える。

◎          ◎ 

私は徐々に衣替えをしていくのではなく、次の季節が来る予兆があれば、今日やろう!の勢いで衣替えをしている。その工程がとても好きだ。

次の季節が来るのを待てない。だいたい私の衣替えは勇み足だけど、私が季節を迎えにいく勢いで衣替えをしている時、すごく生き生きしている実感がある。