職場に不義理を働いてはいけないという信念は、確かに雇用関係において必要最低限の心構えではあるが、法律で定められているわけではない。仕事は誠実にやりなさい、なんてルールはなく、世の中のモラルを遵守するために当たり前に行われている暗黙の了解に過ぎない。

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なんて堅苦しい話はここまでにして、私もモラルのために休むときは理由をつけて「申し訳ありません、お休みさせてください」と連絡するようにしている。誰に教わったわけでもないが、おそらく世の中の大抵の人が「こうしなきゃいけないんだろうな」という無意識下で秩序を守っているのだ。

しかし、中にはモラルに反した行動をとる人間も一定数いる。最近は闇バイトなんかが世間を騒がせているが、バイトをする人間は社会的には立派な大人なので、ニュースでも容赦なく実名があがる。そのほとんどが大体私と年が近い若者だ。
そういうのを見るたびに「この人にも家族がいるだろうに」と思ってしまう。

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よく、真面目だと言われる私だが、真面目であるのにも理由がある。
仕事であれば、私は入社するときに履歴書を提出している。そこには、私の今までの経歴が事細かに書かれているが、一番大きい記載枠は名前だ。姓と名で構成されたフルネームが一番目立つように、履歴書というのはできている。

下の名前だけなら、私はもっと不真面目に生きているだろう。私が何かやらかしても、それは私だけの罪として完結する。しかし、名字あるいはファミリーネームがある以上、私は家族という組織の一員なのだ。

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私の家系がいつから地球上に名を残しているのかは知らない。でも顔も知らない祖先が何人もいて、ひいじいちゃんがいて、祖父がいて、祖母が名を与えられて、父がいて、母が名を与えられて、私がいる。私が私の名前で不義理を働けば、組織の名に傷をつけることになる。だから真面目に生きることにした。

制服を着たまま公共でルールに反することをすると、集会で「学校全体が悪く見られる」というような校長からのお叱りを聞いたことがあるだろう。あれを聞いているとき、私は心ここに在らず、我関せずだったが、名字に関しては強く同意する。家族は私にとってこの世で一番大切な存在で、一番汚してはならない存在だと。

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フランクな場であれば、私は下の名前を名乗る。でもそこから関係性が深まって、名字まで知られてしまったとき、「ああ、この人のことは大事にしなければならない」と思う。不義理を働いて信用を失ったとき、相手は私の名前を一生忘れないだろう。家族の顔に泥を塗るようなことがあっては絶対にならない。それが私の信念でもある。

最近、夫婦別姓の問題が取り上げられ、先日の議員選挙でも公約として挙げられていたが、これはさして大きな問題ではないと個人的には思う。名字は責任だ的なことを語ったが、背負いたい責任の矛先が家族か配偶者かの違いだろう。好きな方に属せばいい。
名字は生まれて一番最初に背負う連帯責任だと思う。声に出して言ったことはないが、無意識のうちに私は名字に対してそんな思いを抱いていることにこのエッセイを通して気づかされた。