名字が変わって得したことは、記憶にある限りひとつもない。
ポジティブ人間の私でも、名字が変わったことをポジティブ変換するのは難しかった。
せめて、めちゃくちゃ珍しくてオシャレな名字だったら気分も変わってよかったのに。なんならアイスブレイクのネタになって便利だったのに。よくある名字からよくある名字に変わっただけではなく、新しい名字は姓名判断を見ても運気が下がってしまうなんて。

まさか夫婦別姓が日本で導入されるより先に結婚することになると思ってなかった私は、昨年、名字を変えることをつい、了承してしまった。事前に名字変更によって生じる苦労の数々を人生の先輩方からSNSなどを通して聞いていたにもかかわらず、だ。
ちょっとばかり詰めが甘かったことを結婚してからめちゃくちゃ後悔した。

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私は高校卒業後アメリカの大学に進学したこともあり、下の名前で呼ばれることがほとんどで、名字はただの飾りくらいに思っていた。

就職してからも、1社目は大手日系企業だったので名字で呼ばれるかと思いきや、たまたま同じ部署の先輩が同じ名字だったので私は下の名前で呼ばれることに。その後転職先でも、アットホームな会社だったこともあり下の名前で呼ばれることが続いた。
だから名字にもともと固執するつもりはなかった。​

ただ、名字変更は手続きが多く大変だと聞いていたこと、そして相手にも強制したくなかったことから結婚するなら夫婦別姓が認められるまでは事実婚がベストだと思っていた。
が、いざ結婚の話になるとパートナーは法律婚を希望した。理由は色々あったみたいだけれど、ざっくりまとめると結局は「マジョリティと同じようにした方が生きやすいから」というのが大きかったと思う。そしてそれには同意せざるを得なかった。
日本は、マイノリティに優しくない国だ。一方でマジョリティに属することができれば、とても住みやすい国でもある。アメリカでアジア人としてマイノリティを体験したからこそわかる、マイノリティの大変さ。日本で外国籍の友人やLGBTQ+の友人がマイノリティとして生きる大変さを身近に見ているからこそわかる、マジョリティであることの強さ。

わざわざ波風立てて、会社や両親や親戚、友人に事実婚を選んだ理由などを説明をしてまで、私は名字をキープする必要はないとその時は判断した。マジョリティとなることを2人で選んだ。
そして私は全国名字ランキング上位の定番な名字から、大して音も響きも変わらない平凡な名字へと変わった。

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あれから1年、想像以上に名字を使うこと、名字が優先される機会が多いことに気づかされ、その度に煩わしさやめんどくさを感じてきた。

例えば、事前に世の中の先輩方から知らされていたことではあったが、しばらくは自分の名字が病院で呼ばれても自分だと気づけなくてスルーするってことが本当に起こった。
​また、お店の予約をしたとき、旧姓で予約したか、新しい名字で予約したか忘れることもしばしば(結婚式をしてないのもあり、友達の多くが新しい名字を知らないので、友達とのご飯は旧姓で予約しちゃうこともある)。

さらにこの状況をややこしくするのは、いつまでに全てを新しい名字に変えなさいという明確なお達しが国からされていないこと。
マイナンバーは変えたけど、運転をしないペーパードライバーな私はいまだに免許証は旧姓のまま。かろうじて銀行は名義変更したけど、普段使ってないクレカは旧姓のまま。Amazonも旧姓でも届いてしまうから結局面倒でそのままだし、スマホだってつい最近まで旧姓で契約したままずっと使い続けていた。
何か支障が出たら、あるいは久々にそのサービスを使うことになったら、というタイミングで適宜名字変更の手続きをしているので、このままだと5年後にもまだ名字変更が終わってないアカウントとかありそう。

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そんな感じで1年程度ではまだまだ新しい名字には慣れず、愛着も持てていない。日本人と法律婚した日本人女性はみんなこんな感じなの?と思い、調べてたら、彼の名字がほしい(彼と結婚したい)と言っている女子を X(旧Twitter)で見かけた。日本には積極的に名字を変えたい女子もいるみたいだ。
私の周りは名字を変えたくない女友達が圧倒的に多く、夫婦別姓が導入されるまで待つと言って事実婚を選んだ友人もいる。

もしかしたら日本人女性のマジョリティは法律婚でも全然いいと思っているのかも。
でもどっちがマジョリティでも関係ない。大事なのは、マジョリティ​・​マイノリティに関わらず、平等に選ぶ選択肢があること。そしてどちらであっても生きやすい社会であること。

私はマジョリティでいることを選んだ。それは逃げだったとも言えるかもしれない。
でもそれは私のせいではなくて、日本社会のせいだったと言いたい。
投票に行って意思表示をしても、私に夫婦別姓という選択肢をくれなかったのは日本社会だったから。