急に出来た時間を持て余し、実家に帰ってきたのが先月の話。
帰ってくる時は1日に2、3件予定を入れて、時間の限り会いたい人との予定を入れる。
その直前にSNSでやり取りしていたこともあり、大学時代の先輩にダメ元で声をかけてみた。

「今地元にいるんですけど、明日、夜ご飯一緒にどうですか?」
急な誘いにも関わらず、
「お、いいね〜。車だから仕事終わりに適当な場所に迎えにいくね」
と、すぐに返信が来た。
そこから待ち合わせ場所と時間を決め、
「また明日!」
と送った後、眠りについた。

翌朝起きると、
「ごめんね、車ぶつけられちゃって今日行けないかも」
と、先輩からラインが届いていた。
「なんてタイミングだ、車擦ったりしちゃったのかな。そしたら今頃手続きとか追われてるんだろうな」と、勝手な想像を膨らませ、
「了解です。またの機会に!」
そう当たり障りのない返事を送り、昼間の予定に向けて準備を始めた。
テレビでは連日報道されている戦争のニュースや、今朝起こった交通事故、政治の動向なんかがいつもと変わらず流れていた。

◎          ◎

お昼を過ぎた頃、先輩から、
「今やっと落ち着いたよ、見て、車」
そんなメッセージと共に、バキバキに割れたフロントガラスの写真と、運転席以外ペシャンコに潰れた車の写真が送られてきた。
想像をはるかに上回る様子に驚きながら、
「怪我はしてませんか?何が起こったんですか?今どこにいますか?」
本人でもないのにも関わらず、パニックになりながら返事をするが、忙しいのか既読がつかない。
ひとまずLINEが来ている時点で生きてはいるから、ひとまず安心だけれど、気が気でない。
ふと思い出したのが朝見た交通事故のニュース。
私の住む隣な県での出来事だった為、「大変だー、可哀想に」ぐらいにしか思わず流し見していたけどもしや。

ネットニュースを開き、リアルタイム1位にデカデカとあがる交通事故のページを開く。
そこに映るのは、ラインで送られてきたのと同じシルバーのペシャンコになった車。
巻き込み事故にあった可哀想な被害者は、今晩約束していた人だった。
どうしても先輩の容態が気になり、関連ページを手当たり次第に見る。
幸いなことに重傷者はおらず、"ケガ人"という表記に安堵しながら先輩からの返信を待つけれど、その間にもどうしても体の状態が気になり、何度も何度もニュースのページを開いてしまう。

◎          ◎

ひと段落ついたのか、夕方頃に、
「無事だよ。手を骨折したぐらい。にしても俺の車、全国デビューだわ」
私の心配をよそに冗談まで交えてくる余裕だ。
元気そうな様子に安心しながら、ラインのやり取りを続けていると、
「でも起きたのが朝でよかったね。この時間に事故に遭ってたら君は確実に死んでたし、俺はこんな冗談も言えてなかった」
そんなことを言われた。

確かにそうだ。
運転席こそ無事だったものの、助手席も後部座席も大破している。
もしあの事故が夕方に起きていたら、私はニュースを見ながらケガ人を心配している立場ではなく、事故の死亡者としてニュースの主役になっていたかもしれない。
そう思うとゾッとした。
たまたま先輩が事故に遭ったけれど、自分もそうなっていた可能性があったのだ。

世の中の溢れかえる悲しい話題に、先輩の事故は2日ほどで世間からは消えた。
けれど、卓球を生きがいにしていた先輩は、その事故のせいで元通りにやることは無理だと言われたそうだ。
そして卓球以前の問題として、しばらくは会社へ行くことも難しい状態だそう。

◎          ◎

テレビを見ていると、流れてくるニュースが他人事で、どこかドラマの中の世界の話のように思えてしまう。
けれど戦争も、交通事故も、殺人や誘拐も、天災のニュースだっていつ自分の身に降りかかってくるか分からないし、気づかなかっただけで、実はその被害者の中に中学の同級生や、古い知り合い、もしかすると一昨日会った仲良しの友達だったりするかもしれない。
そう思うと日々のニュースに対する見方が変わり、たまに言っていた「こんなレベルのニュースがトップに来るなんて平和な世の中ね」という自分の言葉を反省した。

死者のいない、たかが交通事故で、私はこんなにも心を痛めた。
毎日桁違いの死者が出る戦争に巻き込まれる市民たちは?
不慮の事故によって誰かを失った気持ちは?
暴行などで一生治らない傷を負った被害者の残りの人生は?
私自身、今回の一件で世の中のニュースへの見方が大きく変わり、ニュースたちがノンフィクションではないと感じたことで、自分が生きていることが奇跡なのだと改めて感じる反面、悲しいことで溢れている世の中だなあとも改めて思う。