命がけで出産するのに、名字を子孫にバトンタッチすることもできない

子どもの頃は「自分は絶対結婚しない」と思っていた。というか私は結婚できないと思っていたから、そもそも結婚するかしないかということをあまり考えていなかった。それでも、小学生・中学生の頃は女性の先生が結婚して名字が変わるのを見ると「女性は結婚したことが分かりやすいな」と漠然と思っていた。
このように、名字が変わるということを他人事のように感じていた私だが、社会人となった今では「このまま一生一人で暮らしていけるのだろうか」と考えるようになった。また、子どもの頃は人見知りが激しかったため人と仲良くなるのも難しかったが、今では人並みには話せるようになってきたため、結婚できる可能性はあるのではないかと思えるようになっていった。
私が結婚できるのか、するのかというのはまだ分からないのだが、結婚を考える際に気がかりなことがいくつかある。その中の一つが女性である私が名字を変えなければならないのかということだ。子どもの頃は出会う人の数は限られていたので自分の名字がどれほど珍しいのかということは分からなかったが、新しい人に出会って名字を伝えると「珍しいですね。出身はどこですか」と聞かれることが度々ある。「珍しい」と言ってもらえるのはなぜだか嬉しい。だから結婚することになっても名字を変えたくないと思うようになった。
なぜ結婚する時に女性が名字を変えることが多いのだろう。今では男女平等が訴えられており、仕事と家事を両立するのは男女変わらなくなってきた。対等な立場であるはずなのに女性が名字を変えるのが当たり前かのような風潮には違和感がある。子どもがいる家庭は女性のほうが家庭を作り上げたという感じがするが、生まれた子どもは男性が生まれた時から当たり前のように使っていた名字である。
妊娠出産は女性にしかできず、悪阻や陣痛に耐えながら命を生み出すのに産まれた子どもは父親が慣れ親しんできた名字になる。女性は結婚で名字を変え、生まれた時から名乗っていた名字を子孫にバトンタッチすることもできないのかと寂しいような気がする。
夫婦別姓を問題提起すると「子供の名字はどうするのか」という心配が浮かぶ人もいるだろう。上記で子どもがいる家庭を例に挙げたが、子どもがいない家庭もある。子どもを作らず、夫婦別姓を選択したいカップルもいるだろう。子どもを望むにしても子どもが好きな名字を選ぶようにすればそれほど問題ではないだろうか。
「家族で名字が違うと一体感が失われる」と言う人もいるだろう。ただ、結婚によって名字が変われば、実家の家族とは名字が同じではなくなってしまう。それも結婚する男性か女性のどちらか一人が実家の家族と名字が同じでなくなるという不平等感があるだろう。このように考えると名字が同じでなければ家族としての一体感が失われるということを訴えるのは過言ではないだろうか。
現在議論されているのは選択的夫婦別姓である。選択的なら同姓にしたい夫婦は同姓にするという選択肢も残せるため人それぞれ自分らしい選択をすることができ、人生への満足度が上がるだろう。反対する理由がないようにも思えるがなぜ名字を変える必要があるのか納得がいかない。
どうしても家族で同じ名字にするという法律を維持しなければならないのなら、結婚する時に夫婦で新しい名字を決めるというのはどうだろうか。名字を考えるという夫婦になる前の共同作業をすることで、新たな家庭を築いていくという意識を持たせ、夫婦としてこれからの人生を協力していくという覚悟がより強くなるだろう。
結婚する時にどちらかの名字にするとどうしても相手の家に入る、入ってきてもらうという感覚になってしまう。これでは結婚が両者にとって平等とは言い難いのではないだろうか。二人で話し合って名字を決めるということにすれば、お互い気に入った名字ならそれぞれの名字から一文字ずつ取るというのもありだろう。お互いの名字が気に入らなければ全く違う名字を考えることになるだろう。結婚する時に二人で新しい名字を作れば新鮮な気分で結婚生活を送れたり、名義変更という困難を二人で乗り越えるという体験ができたりするので両者が名字を変えるというのもいいのではないだろうか。
様々な意見を述べたが、いずれにせよ今のままの制度を維持するというのは結婚したい人を思いとどまらせる原因になり、さらには出生率の減少につながるかもしれない。結婚時の名字問題に関して、多くの人にとってベストな制度を考え実現してほしい。それは、政治家だけでなく私たち一般人にも課せられた次世代を担う人への義務でもあると思う。
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