誰かに頼るというのを、できる人とできない人がいる。私は後者だ。頼れるのが悪いとか悪くないとかではなく、それはもう性格だ。
私が人に頼るのがうまくできないのは、"頼られる側"としてずっと生きてきたから。期待に応えることでしか、自分の価値を見いだせなかったからだ。

頼ってもらえると嬉しくて、その時ばかりは自己肯定感が上がる

「これ、頼んでおいてもいい?」
「あとは任せてもいいかな」
こういう言葉に私は弱い。育った家庭環境のせいか、性格なのか分からないが。自分がつらくても大変でも二つ返事で「大丈夫です!」と引き受けてしまう。そして相手の「ありがとう」の言葉を貰ってはじめて、ああ私は認められたんだと喜んでしまうのだ。
よくない癖なのは自覚しているけれど、仕方ない。考える前に「任せてください!」なんて言葉が口から飛び出ている。

思えば、小学生の頃から先生や友人から頼られていた。頼ってもらえると嬉しくて、その時ばかりは自己肯定感が上がった。
部活動ではリーダーをやってくれないかと声を掛けられた。やりたくないので一度は断ったが、「あなたにしか出来ないと思ってる」と言われてしまえば、勝手に頷いていた。そうなれば勿論相談を受ける。トラブルの中心に入る。そのせいか体調を崩し、母には「部活を辞めたほうがいい」と説得されたが、私が必要とされてるから、とやり抜いた。
そんな事をしていたら、誰かに自分の弱いところを見せるのが大の苦手になってしまっていた。その反動が大きく来たのは社会人になってからだった。
心から信用している人はいるのに、だ。

うつ病により死の恐怖を感じても、誰かに頼っていいのか悩んでしまう

社会人2年目を迎えた春のこと。体調の違和感をずっと感じていた私は、心療内科に通いながら仕事をしていた。
診察の度に「頑張りすぎです、このままではうつ病になってしまう」と医者は言う。少しでも症状が治められればいい、と薬を服薬する毎日が、うつ病にならないために服薬する日々に変わった。
うつ病で仕事を休むわけにはいかない。一生懸命に仕事をした。職場が嫌で仕方なかったがすべて自分のせいだと当時は思っていたので、頼られるために、認めてもらうために必死だった。吐き気や頭痛、息苦しさと闘いながら業務をこなした。
そんな状態が続いたまま夏になった。医者からは「うつ病とパニック発作が起きている」と診断された。情けなくて、余計に自分を責めた。

夏の終わりのある日、目を覚ますとベッドから体が起こせなくなっていた。職場に迷惑をかける、そう思うと息が出来なくなり、途端「死ぬかも」という恐怖に襲われた。
誰かに助けてと言いたい。助けて欲しい。でも頼っていいのだろうかと苦しみながら、長い時間悩んだ。

ーー彼なら、助けてくれるかもしれない。
頭に過ぎったのは付き合って2年になる恋人だった。結婚を考えている、優しくて強い彼。かろうじて動く右手でスマホを握り電話をかけると、直ぐに出てくれた。

彼は頼れない私の弱さを認めてくれつつ、頼っていいと教えてくれた

「どうした?」
私は泣きじゃくりながら、どうにか、もう無理なのでたすけてくださいと伝えた。初めて、私が切実にだれかを頼ったときだった。
言葉はうまく伝えられなかったかもしれないが、過呼吸になっているのを察したのか、私の名前を何度も呼びながら「もう大丈夫、一緒に深呼吸をしよう」と温かい声をかけてくれた。
ようやく落ち着いた頃に、仕事に行けなくてつらいこと、うつ病だと言われたことを話した。彼は、すべて受け入れてくれた。

「弱い部分を見せることが苦手なのは知ってる。でも人に頼っていいんだよ。ぜんぶ受け止めるからね」
これは、彼が私に伝えてくれた事の一部だ。頼れない私の弱さを認めてくれつつも、頼っていいと教えてくれた。彼に出会い、向き合ったことで私は自分を変えるチャンスに恵まれた。
頼ってもらうことは変わらず嬉しいことだが、それだけでは自分に負荷がかかるだけ。背負った荷物は誰かに少しずつ預けなければ、自分が潰れてしまうと知った。
仕事は暫く休みになってしまうが、これからの長い人生、この経験は大きな財産となって私を前に進めてくれると信じている。

頼ることは負けではない。弱くもない。人は独りでは生きていけない。頼り頼られ、支え合うことで、厳しい社会を生き抜いていくのだ。