自分だけプレゼントも御馳走もなく、この日を憎もうとしてた幼い私へ

昔よりも今の方が、季節ごとの行事を楽しむようになってきた。
大人になると日々の忙しさに追われてしまって「そういえばもうそんな季節かぁ」と流してしまうという人も多いだろうけれど、私は誕生日には自分をお祝いするし、小さなイベントに乗っかって満喫するようにしている。
友達と集まって楽しむ事もあれば、自分だけであっても変わらず。
それは小さな頃に憧れ続けた事のひとつだったからだ。
家庭でも学校でも居場所のなかった私にとって誕生日も季節行事もスルーされてしまうもので、家族で唯一可愛がってくれていた祖父が体調を崩してからは誰からも祝ってもらえなかった。
私自身の誕生日はもちろん、他の家族の誕生日は1人だけ留守番でご飯抜き。クリスマスもケーキやご馳走を食べる席からつまみ出されていたしプレゼントは「お前は良い子じゃないからプレゼントなんて来てないよ」と言われ、希望通りのプレゼントを喜ぶ弟をいつも羨ましく、恨めしく思っていた。
11月頃から街中がイルミネーションで彩られて華やかになり、クラスのみんなはサンタさんの話ばかりするようになってくる。毎年そんな事を繰り返すうちにイベントそのものが嫌いになってしまった。
「本当はサンタも神様もいない」というささくれた思いと「やっぱり私が良い子ではないから、誰にもお祝いされないんじゃないかな」という不安に苛まれていた12月。給食で食べられる特別メニューとケーキだけが私にとっての楽しいクリスマスだった。
ひょんな事から自分の家庭と距離を置けることになり迎えたひとり暮らし初めてのクリスマスに、事情を知っている友人たちが「クリスマスパーティーしようよ」と声をかけてくれた。
嬉しい反面、どんな事するのがオーソドックスなのかも分からない。恥ずかしく思いながらも素直に「パーティーってどんな事するの?」と尋ねて、私は家を会場として提供する代わりに食事などは他の友人が持ち寄ってくれた。
普段あまり飲まないお酒と、ひとりだとなかなか買わないホールケーキ。
気の置けない友達と過ごすクリスマスは祖父と過ごした頃と同じくらい楽しいもので、幸せを感じる事が出来た。
その時に、クリスマスを無理矢理嫌いになろうとしていた幼い私もなんだか救われたような、一緒に楽しんでいたような不思議な気持ちがした。
あの頃の「誰にも大事にしてもらえない」と本気で思って精いっぱい大人のふりをしていた子どもの私は、今も私の心に居続けていて時々不意に顔を出しては「私もみんなと同じように楽しみたかった」とぽろぽろ泣き出してしまう事がある。
そんな小さな私を慰めるように大人の私がひとりでも楽しんでいる姿を見せつつ、一緒に楽しんでもらっている。
悲しい思い出やその時の感情が完全になくなる事がなくても、楽しい経験や思い出を重ねて昔の私と大人になった今現在の私を満たしてあげる事が過去の自分への一番の寄り添いになると信じている。クリスマスをうっすらと憎んでいた私に「私が一緒にいるからね、あなたは悪い子じゃないんだよ」としっかりと目を合わせて伝えてあげたい。
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