小学5年生で、夢から覚めた。この世界にサンタなんかいない。
そう、気付いてしまったから。

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ずっと不思議だった。幼い頃に読んだ絵本のサンタさんは、煙突の中から入ってきて、子どもたちが寝静まっている間に、枕元へプレゼントを置く。そして、また子どもたちを起こさないように、ひっそりと帰っていく。なんで怖いかって、そのシステムが、物語じゃなくて日本の、しかも東京ではない地方の一軒家に適用されているという事実。この文化に対して、幼いながらに猛烈な違和感を感じていた。なんだろう、一言で言うと「大丈夫?」と思っていた。まったく、夢のない子どもなこと。

そうは言っても、やっぱり25日の朝は楽しみで、家族よりも早く起きてプレゼントを開けるあの瞬間は、1年の中で特別だった。だから、サンタが来てしまえば、そんな奇妙な謎をうれしさが塗り替えてしまう。なんだか今でも懐かしい。

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しかし、小学5年生のクリスマス前日、夢から覚めてしまった。
その年、わたしは欲しいものが明確だった。プレイステーションのゲームソフト。母に、クリスマスの1か月前から、今年のサンタさんへのプレゼントはゲームソフトにすると猛アピールしていた。そして、クリスマスイブのパーティー中にそれは起こった。母の調理を手伝っているとき、ふと、キッチン横のビニール袋に目が留まった。まだ覚えている。ネギやお菓子が入ったスーパーのビニール袋から、ゲームソフトのパッケージが透けている。なぜ目を留めてしまったのか、今思えば本当に後悔。サンタからのプレゼントは、まさかのネギと一緒に入っていた。そのとき、サンタはいなくなった。夢から覚め、現実に帰ってしまった事実に憤りを感じた10歳のわたし。でも、それを目の前のサンタに伝えてしまったら、プレゼントがもらえない気がして、わたしはあえて黙っていた。

翌朝、枕元にプレゼントがあった。開けると、そこにはゲームソフトがあった。昨日ネギと一緒に入っていた、それ。母が起きてきた。私は言った。「サンタって、お母さんなんでしょ?昨日、スーパーの袋にこれ入ってた」。母は、「もう来年からは、サンタは来ないわね」と、サンタの存在有無についての明言は避けたものの、わたしにサンタ終了宣言を勧告した。

翌年からは、宣言通りサンタは来なくなった。しかし、私は思った。これ、あえて「気づかないふり」をしていた方がよかったんじゃないかと。そうすれば、きっともう少しのあいだ、正体の分かったサンタからプレゼントをもらえたのに。

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そんな記憶を思い出したのは、大人になった今、「気づかないふり」について考えていたから。「気づかないふり」って、実に哲学的だと思う。会社や、プライベートでさまざまな人と接していると、あ、この人多分こうだな、とか、こういうアクションを期待しているんだな、とかいわゆる「察する」という場面が少なくない。「察する」ことは、「気遣い」でもある。たとえば、他人に対していつもと違う様子であれば、あえてそれを言葉にすることで、「気遣い」になる。しかし、察したことを「表現しない」という優しさもある。これは女子あるあるだと思うけども、たとえば、友人の体重が増えたという悩みに対して、”気づかないふり”をすることで、その友人のひとときは幸せなものになる。あとは、きっと恋愛でもそう。自分の恋人が他の女に気持ちが向いているときも、”気づかないふり”をしておけば、自分の身は守ることができるのだから。やさしさを与えつつ、自分を守ることができる「気づかないふり」というカードは、もしかすると、人間社会のジョーカーなのかも?

なんだか超脱線。人間の話になってしまったけど、わたしのクリスマスの思い出。それは、「気づかないふり」の大切さという、サンタからもらった哲学的なプレゼント。