毎日毎秒、何してもかわいい。私の愛はきっと鳥の形をしている

犬より猫より鳥が好き。3度の飯より鳥が好き。鳥が好きだと自覚してから、私の人生は大きく変わった。
始まりはネットで流れてきた1枚の写真だった。「カフェオレ飲みたい」というコメントと共に、上半身が白で、下半身がカフェオレ色の文鳥の写真が投稿されていた。衝撃だった。
かわいい。他の言葉が出てこないかわいさにすっかり惚れ込んでしまった。その日から私の頭から文鳥が離れず、気がつけば何度も何度もその写真を見返していた。それだけでは足りず、ネットに上がっている文鳥の写真を漁ることはもちろん、文鳥の本も買い集めた。ペットショップにも通って、実物の文鳥を何度も何度も眺めた。通いすぎたのできっと噂になっていたと思う。お恥ずかしい。
そんな日々を繰り返して、私はついに白文鳥を家族の一員としてお迎えしたのだった。
自分が動物と暮らすなんて思ってもみなかった。自分が難病を患っているが故に、命の重さや、生きること死ぬことについては人一倍考える機会があった。
命は重すぎる。それに、私が具合が悪くなって動けなくなったときにこの子はどうするのだろうという心配もあった。それでも、どうしても文鳥と暮らしたかった。
だから、この白文鳥をお迎えするとき、私は相当な覚悟を決めたのだった。
文鳥が家に来てから毎日がときめきでいっぱいだった。寝てる、かわいい。食べてる、かわいい。あ、うんこした、かわいい。何をしてもかわいい。毎日毎秒かわいい。
「愛」が形を持つならば、きっと鳥の形をしているんだろうな。そんな意味のわからないことを本気で真面目に考えていた。
生後2ヶ月ほどで迎えた文鳥は、ちょうどご飯を自分で食べられるようになった頃だったが、毎日毎日何かしらの成長が感じられる。変化を見つける度に胸がぎゅーっとなるほど嬉しくなった。ご飯、お風呂、掃除などの基本的なお世話に加え、部屋のレイアウトを変えたり、おもちゃを与えてみたり、部屋の温度・湿度を調節したり。体調を心配したり、ご飯のバランスについて考えたり。
仕事中も頭には常に文鳥のことがあり、退勤後は寄り道せず真っ先に家に帰った。子育てをしたことはないけれど、親が我が子を思う気持ちってこんな感じだろうかと1人苦笑した。
文鳥が我が家にやってきてから私は体調を崩しにくくなった。それは、気持ちが明るく前向きになったということもあるし、文鳥の親であるという責任感から、体調管理にさらに気をつけるようになったからだ。
生活リズムはもちろん、自分の病気の特徴を踏まえて戦略的に休息を取るなど、絶対に体調を崩さないという強い気持ちで日々を過ごすようになった。だって私が入院してしまったら、この子のお世話はどうなってしまうというのだ。家に家族がおり、大体のお世話はわかるようにはしてあるが、細かい感覚的なことはわからないだろう。
何より私自身が、文鳥と会えなくなることに耐えられない。そう思っているからか、文鳥が来てから私は1度も入院していない。これは、今までの私から考えると驚くべきことだった。
文鳥に必要なものは自分で稼いだお金で買いたくて、身体に無理のない範囲で働くようになった。パニック障害の発作がひどく家から出られない時期もあったが、小鳥グッズのポップアップイベントが開催されていると知れば、苦手な電車にも飛び乗って会場に向かった。
小鳥、特に文鳥のためならなんでもできる自分がいた。文鳥が私の原動力なのだ。
これを愛と言わずして何と言うのだろう。ノー文鳥、ノーライフ。愛せるものがある人生は幸せだ。
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