こんなに親切な人とすら分かり合えない、ということだけが分かった

先日、茶道の先生に、悩みを打ち明けようとした。
私が好きなのは、脱いだ本人の目の前で靴を揃え直さない茶道であって、一つ一つの言動から揚げ足をとろうとする息苦しいものではないこと。別にそれが悪だとか偉そうな講釈をたれるつもりは毛頭ないが、この稽古場で私は苦しいこと。
言ったところでどうにかなる問題ではないのかもしれないが、付き合っていた人に、「なつめさんは現状が変わらない前提で話してるよね」と言われ、偉そうに悩む前に自分にできることはやろうと決めたのだ。
その彼とは、私が彼を尊敬できなくなってしまったことやデリカシーの欠如が理由で、その時別れ話をしていた時期だったが、彼の全てが間違っているわけではないと正しいと思えたその意見を受け入れることにした。
けれど、結果は散々だった。
70手前の男性の先生からは「あんまり考え込まず気楽に考えてくれたらいいよ」、「悩む?どういうこと?」と言われた。「学生なんだし。そうそう、彼氏とは順調?あんな良い人逃したらだめだよ」とも。
先生と私は分かり合えない気がした。
私は自分の知識や経験をひけらかさず、それを誰かのミスをカバーするために使える人に憧れた。
「お客様の目の前で靴を揃えたら、『あなたそんなこともできないの?』って言うようなものでしょう?」
そうちゃきちゃき指導する、高校生まで習っていたお茶の先生を、私は尊敬していた。
今の先生だって尊敬している。私には見えないものを見て、私がいちいちつまづくことをさらっと通り過ぎているのだろう。
でも、”精神道“、それは、陰湿な陰口や皮肉に耐えることを言うのだろうか。
分かり合えないことに耐えられないのなら、私にあるのはきっと3つの選択肢だ。
現状を変えるよう働きかけるか、現状を飲み込んで適応するか、理解できない場所から去るか。
一つ目はあり得ない。茶道はこんな小娘に太刀打ちできるような世界じゃない。適応できれば楽なのかもしれないが、私はここに適応したくない。そんな人間でありたくない。
では、ここを去るか。そもそも去りたくないから、屈したくないから私はもがき苦しんでいる。
そんな堂々巡りをまた繰り返す。
やっぱり現状は変わらなかった。
私は今、学校茶道ではなく、家元の管轄下でより本格的に茶道を習えてとても恵まれているのだと思う。でも、憧れだった世界は、手離しで私もそうなりたいと思えるような場所では無くなってしまった。
私が悩みなんか言わなければ、こんなに私と先生との間にある溝を決定づけることもなかった。先生が私に心から親切にして、色々教えてくださろうとしているのが普段からわかっているからこそ、そんな優しい人とも分かり合えないことだけが分かってしまった今、私はこれから、いったいどこを目指して、この道を進めば良いのだろう。
それでも、よく言われるようにやらなかった後悔より、やった後悔の方がましなのだろう。ああ、でも、これでましなのだと思うとそれもやるせない。
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