梅雨が明けたかと思うほどの炎暑が続く7月の下旬。ベトナムから1枚のポストカードが届いた。くるりと裏返すと、それは、私がイギリス留学していたときに仲の良かった同じ学部の友人たちからだった。

彼らはサマーホリデーに東南アジアを旅行していて、その途中で私宛に送ってくれたのだろう。東南アジアでのことは度々聞いていたけれど、メッセージには既に帰国した私の身を案じる内容が書かれていて、頬が緩む。

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クリスマス休暇が終わり、課題の提出が次々とやってくる1月。課題を前に途方に暮れた私は、何か分かるかもしれないと思い、大学に行って作業をすることにした。

建築学部の建物の最上階には建築系ソフトがインストールされているコンピュータが並び、そこで自習ができる。毎日通い続けると、顔見知りのクラスメートとは挨拶や簡単な会話を交わせるようになっていた。

あるとき、他の階に用があって階段を使って降りると、カギがかかってしまい階段スペースから出られなくなってしまった。他の階で作業をしていた学生になんとか開けてもらいエレベーターを使って最上階に戻った私は、今階段で起きた事件について話すと、みんなが「ええ⁉大変だったね」と言ってくれて、それをきっかけに話が弾んだ。

それまでは、現地学生との間に距離を感じていたのに、そのときは初めて話す人とも自然に会話ができた。

当時は授業で関わることはあったが、授業以外で仲の良い友達ができないことに悩んで、結局は言語や文化が異なる彼らとは分かり合えないのかな、とどこか諦めてもいた。だけどそれは単に、自分から境界線を決めていただけだったのだ。

家族や友人と離れて暮らし、課題をやり遂げられるか、といった不安も重なり気分も沈みがちだった私にとって、その日は久しぶりに『楽しい』と思えるやり取りができた。

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数日後、これから私たちボルダリングに行くんだけど一緒にどう?と誘ってもらった。私は二つ返事でOKした。それから彼女たちとは、映画を見に行ったり夕飯を一緒に作ったり、クラブにも行った。

イースター休暇にはオランダのアムステルダムへ建築旅行にも行った。アムステルダムでサイクリングをしたこと、ホステルに泊まって料理やゲームをしたこと、夜の街をみんなで手をつないで歩いたこと……その一つ一つが刺激的で、大切な思い出。あの目の眩むような光景を、きっと私は忘れない。

もちろん、言語の問題でコミュニケーションに苦労することは多々あった。ネイティブの英語が聞き取れなくて聞き返したこともあったけど、それでも彼らは大丈夫だよと受け入れてくれていた。言語の障壁がある私のことを、気遣ってくれていた。

かつて同じ場所で学び、同じ時間を共有した彼らと、今は海を隔てて違う時間軸で生活をしていることに、もう同じ学舎で学ぶことはないのだと思うと、不思議な感覚に包まれるけれど、私は彼らと、世界のどこかでまた会えるような、そんな気がしている。

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今や私は世界中にたくさんの友達がいる。遠く離れていても想い合えるような仲間がいる。

大学生になって、高校までのように学級の概念が消え、クラス会のようなものはなくなった。大学の友達は、同じ講義を取らないと会えない。同じ学部でも、名前すら知らない人もいる。けれど私の留学先では、学生が主体となって数々のイベントを主催していた。だから、彼らが性別や国籍を問わず手を取り合っているのを見て、眩しさを感じた。

みんなが尊重し合って生きる、そんな生き方に私は憧れた。留学を終えて、たくさんの人にもらった愛を、これからは私も伝えていきたい。イギリスで大学生活を送れて本当によかった、と思う。改めて、応援してくれた恩師や家族、友人には感謝しかない。
次は私が日本からイギリスの友人にポストカードを送ろうと思っているが、一体どんな絵柄がいいだろうか。