留学で家を離れると同時に、人生初の一人暮らしを始めた。それからは、幾夜もの眠れない眠らなかった夜を越してきた。それは、家族や友人と離れて心細くて寝れなかった日、現地でできた友人と明け方まで踊り明かした日、旅行費を浮かすため夜行バスを使った日、課題提出を前に図書館にこもり徹夜した日…。色々あったけれど、今となればその一つ一つがかけがえのない経験だった。

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中でも強く印象に残っているのは、21歳の私の誕生日。その日私は、留学中に仲の良かった3人に祝ってもらった。現地で出会った違う大学のA君と前の年に日本に留学していたというイギリス人のB君と、私と同じ大学で一緒に来たCちゃん、それから私。私たちは大学の専攻も性格も全く違うのに、どういうわけか縁がありお互いの誕生日を祝うようになっていた。3人が同じ寮に住んでいてもう1人の子も近くの寮にいたので、よくコモンルームに集まってはSwitchをしたり、お酒を片手に永遠と他愛もない話で盛り上がったり。Bに連れられクリスマスマーケットを見に別の都市に遊びに行ったりもした。

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私たちの中で誕生日を祝うときは恒例の行事があった。お調子者のAが一番に始めたのをきっかけに、誕生日の人は他の3人にスプレータイプのホイップを顔に塗りつけられる、といった感じでいつしかルーティンになった。段々とみんな調子に乗っていき、どんどん塗られるホイップの量が増えていき、4人の中で一番後に誕生日が来た私は、最も被害が大きかったような気もするが。Aは次の日から欧州旅行する予定でいたが、それでもみんな集まるならとフライトの時間までいてくれた。彼がコモンルームを去ったあとも、私たちの終わらない夜は続いた。Aは自由奔放で無神経なところはあるけれど、でもそこが憎めないしAがいないと寂しい気もするよね、なんて言って笑っていた。なんだかんだ言いつつもAはみんなに愛されていたんだな。色々な話題に花を咲かせていき、就活いやだねーとか将来の不安とか語ったりもした。課題の提出期限は迫っていたのに、今日は気にしないーなんて現実逃避を宣言したり。やけに現実感のない可惜夜に浸っていた。

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Bは日本語をかなり流暢に話していたが、それでも留学する前は片言しか話せなかったと暴露した。それから、片言の日本語でおかしなことを言って笑わせてくるので、Cと私はお腹を抱えてゲラゲラと笑った。アルコールは抜けているはずなのに、酔いが回ったときのようなテンションで大声で笑った。彼の話す様子をビデオに撮ったが、半年経った今でも笑えるくらいどうでもよくて面白い。気持ちが落ち込んだときはこっそりこれを見ようと決めた。それから、時刻は6時半を回り私たちはラジオ体操をしようと思いついた。本当に意味が分からなかったけど、なぜかそのときは何て素晴らしいアイディアなんだと思い全力で体操をしていた。
きっと、これまでの人生で一番笑った誕生日だったと思う。

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今はみんな、離れ離れになりそれぞれの道を歩き始めた。Cとは学部が違うしAは遠く離れた大学、そしてBはイギリスに留まっている。異国の地の特殊な環境にいたからこそ築けた不思議な関係だったのだと思う。もうあの4人で会うことは難しいだろうけれど。私は、くだらない話をして馬鹿みたいに笑っていたあの時間が大好きだった。言語の壁もあり本来の自分を出すことが難しかった中で、私らしくいられる居場所をくれた3人には感謝しかない。私たちは未来に向かって、歩いていく。私たちの奇跡みたいな出会いに、人生の門出に、乾杯!いつかまた会えたらいいな。