子供の頃、私は自分の名字が好きではなかった。この名字のせいで学校であだ名をつけられ笑われた。恥辱にもだえ、母に名字を変えたいと訴えた。すると母は、「大丈夫だよ。女は結婚したら変わるからそれまでだよ」と慰めてくれた。その時私は9歳くらいで、その時から「結婚する」ということが私の希望になった。

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ところが、いよいよ名字が変わるという時が来ると、これがどうもしっくりこない。腑に落ちない。何で女が変わらなきゃいけないんだろうか?私とカレは同い年。私はカレよりも社会人としてのキャリアが長く、給料も高かった。

それなのに、無条件でカレの名字に自動変換されてしまう。おかしいんじゃないかと。さらに職場にも役所にも氏名変更届を出さなければならない。あー面倒くさい。私は友達にそう愚痴ると、「でもさ、普通だったら名字変わるの一生に一回じゃん。届け出すのも一回じゃん」と明るくいわれた。

それはそうなんだろうけど、じゃあもし離婚したら?職場に「あのぉ離婚したんで、名字変わるんですけど」とかなんとかいわなきゃいけない。あーやだ。私は自分で自分をマリッジブルーに追い込んでいった。

そんなある日、職場の先輩が結婚し、新しい名刺をくれた。そこには「青木白鳥見絵子」(仮名)と書いてあった。私が「格好いいですね」と見つめていると、「本当は白鳥(旧姓)でいたかったんだけど、出来なくてね…せめてもの反抗だよ」と苦笑した。

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時は輝かしい21世紀の幕開け。けれど世間は変わっていない。先輩の名刺は職場では使えず、プライベート止まりになった。私は他人事とは思えず憤りを感じた。が、それならそれで自分でなんとかするしかない、と気持ちを切り替え、ネットであれこれ検索。『事実婚』というものを知った。読めば「婚姻届を提出せずに夫婦として共同生活を送っている状態」と書いてある。「こんなのどう?」とカレに切り出すと、「もう何でもいいよ」と冷たく返された。母に話せば猛反対。「何いってんの‼」と激昂された。私って難しいのかな…。

こだわり過ぎなのかな…。心の中はずっしりと重かった。そんな時、同僚A子がこんな話をしてくれた。実はA子も私と同じ意見だった。ある日A子は思い切ってカレに「名字が変われば自分がなくなっちゃう気がする」と打ち明けた。

するとカレは、「名字が変わるくらいで自分がなくなるんだったら、最初から自分なんてものはないんじゃないの?」といったという。A子はそういわれればそうかもしれないと納得し、名字を変わった。私は暫く自問自答を繰り返した。本当に事実婚でいいのだろうか?そんなに自分の名字にこだわる必要があるのだろうか?

数日後、私は夫の名字になることを決めた。妥協ではない。新しい自分に生まれ変わるチャンス、だと捉えたからだ。

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そして26歳の自分の誕生日。入籍し、新姓となった。カレは私にこういった。「同じ名字になってくれてありがとう」と。名字が変わって30年近くになる。気がつけば、旧姓よりも長くなっていた。

その後、私の人生は画期的な変化はなかったが、それでも子供を産み、育て、様々な経験ができた。家族みんなが同じ名字。だから至ってシンプル。揉めることもない。今から考えると、やはりその時は「カレの名字=カレの家に入る」という意識が物凄く強く、過敏に反応していたのは、間違いなかった。

しかし今、16歳の娘がかつての私と同じことをいっている。「結婚したら何で女が名字変わんなきゃいけないの?世の中男女平等なんていっているけど、全然平等じゃないよね」。そしてきっぱりこういった。「私は名字を変えない。このまま一生いく」。

『選択的夫婦別姓』。賛成か反対かを問われたら、私は「賛成」と答える。今は個を大切にする時代。名字も、二人で話し合い、納得して選べばいいと思っている。