「すてられないのが、ほんとうの夢。すてられるのは、夢ではなく憧れ」

活字中毒だった小学生の時に、たまたま読んだ本に書いてあった言葉が、今までの私の指針になってきた。

文系か理系か。
将来の夢は薬剤師か、管理栄養士かパティシエか。
目指す大学はどこにするか。
誰と付き合って、誰と距離を置くのか。
できもしないくせに、自分の心の中の一番大切にしたい、捨てられないものを掘り出そうとあがいてきた。
今、私はまた、選択を迫られている。

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一つは、8年以上続けてきた茶道を辞めるかどうか。もう一つは、4年付き合った恋人と別れるかどうか。このエッセイでは前者について書いていきたい。

私が茶道を始めたのは中学1年生の時。私が、いじめややんちゃすぎるクラスメイトや、日本語の通じない、ネイティブの先生達に疲弊し始めた頃だった。体験入部に行った際に、先輩方が笑顔で言ってくれた「こんにちは!」が、たったそれだけの言葉が、私を動かした。その茶道部の師範は、お点前もだが、それ以上に心を教えてくれるような方だった。
「お客様の前ではその方の履き物を揃えちゃダメよ。あなたそんなこともできないのねって言うようなものだからね」
「もし、お客様がお菓子器を自分の方に回されなかったらそのまま持って帰るよ。目の前で回したら、あなたそんなことも知らないのねって言うようなものでしょ?」
私は、そんな風に何より相手を想って考えられた作法が何百年も変わらず受け継がれていたり、かと思えば、その場、そのお客様ごとに柔軟に変化したりする茶道が好きだった。

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高校を卒業して、通い始めた稽古場は、学校茶道とは違って本格的だった。しかも、そこは大人の方々が通う中でも、許状をいただいていたり、先生として教えているような方も通うような場所だった。明らかに場違いなのは承知の上だったが、私が辞めるべきかと迷い始めたのは、そこの厳しさゆえではない。

一言で言うならば、その稽古場は、ドロドロしていた。はんなりと穏やかな声色である人は毒を吐き、それを言われた人は、笑顔で何も気づかないふりをして嫌味を言ってのける。
「ずいぶん素敵なお着物ね(茶道には派手じゃない?)」
「まあ、ありがとうございます。足腰の立つうちに着ておきませんとね。(あなたは足が悪いから着物なんてもうしんどいでしょう)」

そんなことが日常茶飯事だった。自分の知識が未熟なために、良かれと思ってやったことや言ったことが逆に失礼に当たることだったなんてこともある。下っ端は積極的に雑用をしなければと思って準備をしていたのに、「まあ、よく働いてくださるわね」と言われ、その時は額面通りに受け取ってしまっていた。水屋(茶道におけるキッチンのような場所)が縁の下の力持ちで、点前の流れなど一通り理解した人が取り仕切るべき場所だというのを知ったのは、陰で私の悪口を言われていると小耳に挟み、あの言葉が嫌味だと知った時だった。

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今私が習っているお茶が正しいお茶なのかもしれない。この流派を取り仕切る人達が作り上げた人間関係や点前や在り方。私がそれまでやってきたのはあくまで、学校のクラブとしての茶道だ。その流派の師範に毎週教えに来ていただいていたからといって、それが本来の茶道ではなかったのかもしれない。それでも、私が好きだったのは、お客様の目の前で靴を直さない茶道だった。私が捨てられないのはそういうお茶なのだ。

でも、この場に留まり続けていても、そんな夢が叶うことはおそらくない。かといって、狭いこの世界では稽古場を変えることも難しいだろうし、変わったところで本質が同じである限り、同じ問題に突き当たるだけだろう。私は茶道が好きだ。でも、この茶道ではない。この流派の上に立つ人達には鼻で笑われるかもしれないが、本格的でなくとも、私の諦められない茶の湯の心はこれではない。そんな、口が裂けても言えない闘志を静かに燃やしながら、私は今、ここにいるしかできないのだろうか。