「なにが気に入らないの?良い人じゃないですか。手放すのは勿体無いよ?」

それでも私は今の恋人と別れたい。でも、言えるわけがない。雲の上の人に向かって、彼の、あなたと似ているそのデリカシーがなくて雑な部分がもう許せないのだなんて。私のお茶の先生はなぜか、私の恋人を気に入っているようだった。でも、たった一度会っただけだ。

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一年ほど前、先生にせがまれて、恋人を連れてお茶の先生の家にお邪魔したことがある。お誘いがあった時、彼はお茶なんてやったことがないから、基本的なお菓子とお茶のいただきかたと座り方は覚えてもらうことになるけどそれでもよかったらという私との約束つきで先生に諾と返事をした。なんとか基本だけ叩き込んで、これだけはお願いだから覚えてと念を押して当日家にうかがった。

手土産は予め私が用意したものを彼に持たせて奥様にこうやってお渡しするようにとレクチャーした。なつめさんがやればいいのにと彼は言ったが、それも彼をたてるためだった。

けれどそんなこと知る由もない彼は、ぎこちなく手土産を渡すともうそのあとは散々だった。茶道のマナーを忘れるのは100歩譲るとしても、まったく悪びれずに忘れたと宣う。姿勢も悪い。私はとなりでずっとヒヤヒヤして内心苛立っていた。

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最近、用事があって1人でお宅にうかがった際、先生に彼氏とは最近どう?と聞かれた。まあまあとはぐらかす私に踏み込んできたので仕方なく、「乱暴ではないですが、言葉選びが雑だったり、良くも悪くも能天気なところがありますかね」と答えた。

先生は、自分の主張ばかり押し付けず、相手を受け入れないとと言った。向こうはお茶やってないし、そんな小さなズレなんて日常茶飯事だよと。挙句、私たちも昔はそうだったなと自分と奧さんの思い出話を始める次第。

立場があまりに違いすぎるため、私には何も言えなかったけれど、内心はらわたが煮えくりかえっていた。

お前に何が分かるんだ。たった一度、数時間あっただけで。私が自分の主張を押し付けた?何を根拠に言うんだ。私が彼氏の言葉に傷ついたのも“よくあること”だとなにも聞きもしないで雑に括らないでくれ。

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「彼は素直そうで良い人じゃないか。あなたにゾッコンなんでしょ?だめだよ、手放しちゃ。そんな人なかなか出会えないよ」
「彼を大変かってくださっているようでありがとうございます。でも、少し子どもっぽいところもありますから」
「まあ、うちに来た時も姿勢とか悪かったけど」

そうでしょう、そうでしょうと、共感と、やはりそう思われていたかという焦りが同時に襲ってくる。けれど、それ以上に、でもさ、と続けられた言葉が、私には理解できなかった。

「私は人間性を見ているから姿勢とか、お茶の作法とかはあんまり気にしてないよ。彼は茶道やってたわけじゃないからなおさら。むしろ取り繕った姿勢の良さは胡散臭いと言うかあんまり好きじゃないね」

いいのか、マナーや礼儀がなっていなくても。大学生にもなって、目上の人の前で姿勢を良くすることすらできなくても。それはその人の人間性には関係ないのだろうか。でも、だとしたら、一体何のために私はこんなにも気を遣っているのだろう。

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感謝や尊敬の念が想うだけで相手に伝わるのなら、礼法も、茶道も何もいらない。伝わらないから言葉にして、形にしていくのではないのか。そのために、私達は普段稽古をするのではないか。茶道に限らずとも、目上の人の前で姿勢を正すのは、その人の誠実さや真面目さ、その人への敬意を表すのではないのか。

少なくとも私は、今あなたがどうでもいいと言った礼儀に四苦八苦しながら会得しようともがいている。そんな私の前で、「姿勢なんて」と言うのか。それがたとえ彼を庇うためであったとしても、私はそれを容認できない。そもそも、彼の一体何を知って偉そうに、よくあること、手放すなと言うのか。

類は友を呼ぶ。彼も先生も、尊敬しているし、いい人だとも思う。でも、私の根っこには拭いきれない嫌悪が潜んでいる。こんな私は、間違っているのだろうか。