18歳で一人暮らしを始めてからもう6年。たいていの家事はできるようになったし、多少大きな虫が出ても叫ぶことなく対処できるようになった。冷蔵庫で野菜を腐らせることもなくなったし、トイレットペーパーのストックが無くなって絶望することもなくなった。
一人で生きていけるようになったな。

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何をしても一人で、何をしても身の丈に合った感動で済まされるようになった。

「うん。おいしい」。

卵を買って炊き立てのご飯にかけて食べたとき、これが誰かと一緒だったらもっと大袈裟に美味しいリアクションを取っていたと思う。寂しいとか悲しいとかそういう次元の話じゃなくて、身の丈に合った生活が淡々と続いているだけの日々。

むしろ誰かと暮らすことのハードルは上がっている。自分のタイミングで洗濯機を回したい。トイレットペーパーの芯は3つ溜まってから捨てたい。一人分の食器は5分で洗えるし料理したくない日はカップ麺に冷凍野菜入れて済ませたい。一人で暮らせるようになったし、一人でしか暮らせなくなった。強くなった。たくましくなった。

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誰かの温もりが欲しいと思うのはいつも寝る直前で、冷たい布団に丸まって冷えた足先をこすりながら、一人はちょっと寂しいなーと漠然と思う。

「今日、新しいピアス買ったんだよ。本当に欲しかったのは1個だけなのに店員さんのおすすめに負けて2個買ったんだ。でも2個とも可愛いから、今度はピアスに合うワンピースが欲しくなってさ」

そんなくだらない話をして気付いたら眠りに落ちていればいいのにと思う。誰かの声を聴きながら眠りにつきたい。私の話を聞きながら眠りに落ちてほしい。

そう思ってラジオを聴くようになった。タイムフリーで昼下がりのゆったりとした雰囲気のラジオの、どこかの主婦のメールを聞く。兵庫県。40代。夕飯のおかずの一つとして冷奴を出すと手抜きだと言ってくる旦那にイライラする。

いいな。イライラする相手がいるんだ。いいな。人と暮らしているっていいな。いつか私も誰かと暮らすときが来るのかな。誰かのために食事を作って、食事ひとつで一喜一憂して、そんな人生を送るようになるのかな。そんなことを思っているうちに眠りにつく。

一人のはずなのに誰かの声がそばにいて、一人じゃない時間を過ごしている。知らない誰かの生活を聞いて、知らない誰かが好きだという音楽を聴いて、ラジオの向こうで誰かと誰かが繋がる瞬間に立ち会っている。「ラジオでは全ての曲が誰かのレコメンド」そんなラジコのCMが好きで、ラジオを通して誰かと繋がる時間が好きだ。

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埋まらない寂しさと常に一緒に暮らしている。どれだけ友人と会っても、彼氏と電話をしても、やっぱり家に帰ると私は一人で暮らしていて、一人で暮らせるようになっていて、それは強いことだけど寂しいことでもあって、美味しいものとかかわいいものとか、胸がときめく瞬間が過ぎると寂しさだけが残ってしまう。

誰かに話したいことがありすぎる。ここに誰かいたらなあって何度も思う。結婚したいわけじゃない。誰かと同じ方を向いて人生を歩みたいわけじゃない。ただ、小さな感動に出会ったときにその感動を分かち合える存在がもっと身近にいたらいいのに。

今日もまたラジオを聴く。知らない誰かの日常に寄り添って、知らない誰かの感動に共感して、誰かが好きな音楽を聴いて、励まされて、一日が終わっていく。寂しいかもしれない。でも、寂しくないかもしれない。誰もいないわけじゃなくて、たくさんの人がいるかもしれないから。私は一人じゃないのかもしれないから。だから寂しくないかもしれない。