恒例の一人旅は教育の一部。毎年、好きなところに行かせてもらえた
アメリカ、カナダ、オランダ、マレーシア、イギリス、フランス、そして、ガーナ。毎年恒例の一人旅もコロナによって休止符を打たれた。
私が一人旅を始めたのは中学一年生の時だ。昔から両親に旅行に連れて行ってもらっていたこともあり、一人になってもあまり抵抗はなかった。贅沢なことに、この一人旅を両親は教育の一部と考えていて、毎年、好きなところに行かせてもらえていた。
当初からこの一人旅が何のためにあり、何を学んでほしいと思っているのか考えてきた。お金のありがたみ、文化や言語の違い、人々の温かさ、自立することの大切さ、あげればきりがないと思う。
親に聞いてみたこともある。一つだけ自力で学んでほしいことがある。そう言っていた。
なんだろう。自分で見つけなければならないもの。海外にしかないのだろうか。どこかに落ちているわけでもないだろうし。
そうこうして答えが出る前に、コロナ禍に突入してしまった。コロナの前に計画していたのはインド旅行だ。最後に行った国、ガーナで観光地ですらないような発展途上国に行くことに目覚めた。
行こうとした最初のきっかけは、ボランティアをしてみたいという思いからだ。当時の私は、ボランティアをすることは絶対的に良いことだと信じていた。
家族からの無条件の愛情がどれだけ素晴らしいかを知った
しかし、行ってみるとどうだろう。自分のしてることが役に立っているなんて一ミリも感じず、自分のお金だけが役に立っているように感じた。
ホストファミリーや現地の子たちは、親しく声をかけてくれるものの、実際のところ、お金の力や私が外国人だという珍しさで成り立っている関係だとも思った。
現地で仲良くなった同年代の男の子がいた。ボランティア活動の一環で学校修繕があり、その学校に通っていた子だ。
私の滞在は3週間で、その殆どをその男の子と過ごした。一緒にご飯に行ったり、街に連れてってもらったり、遊びに出かけたり、友達だと信じ込んでいた。帰ってきてからも連絡をよくする仲だったが、彼は何かと理由をつけてお金を送って欲しがった。
教会建築の費用。学校に必要な教材費。中には、家族が怪我をしたという内容まであった。最後の件はほんとかどうかさえ分からない。内容の真偽は置いておいて、私はいくら頼まれてもお金を送らなかった。そのため、自然に連絡も途絶えていった。
この経験が悪い思い出だとは思っていない。彼と過ごした時間が楽しかったことには間違いない。しかし、お互いの利益の上でしか成り立たない友人関係の存在に気付かされた。そのため、家族からの無条件の愛情がどれだけ素晴らしいかを知ることになった。
たどり着いた回答は、家族の愛情のありがたみを知るため
しかしまた、なぜ繰り返すようにしてインド行きを決めたのだろう。コロナで旅行に行けなかった間、このことを考え続けた。そして、私がたどり着いたのは、家族の愛情のありがたみを知るため、という回答だ。
普段生活している中では意識することはなかなかない。話しかけてくる人がたくさんいて、人と触れ合う機会も多い、発展途上国の旅でも、満足できないような人の温かさがある。それが家族からの無条件の愛情だ。そして、これは両親が私に学んでほしかった、たった一つの人生の教訓だろう。
私が旅行に出るきっかけがこの愛情の温かみを再確認することなら、本当は旅行なんていらないのかもしれない。そして、今その家族と過ごしている時間が至上の幸せなのかもしれない。
しかし、私は、懲りずに次に待つ旅行の計画を立てるのだ。