私が一番怖いもの。教室に入ってから席に着くまでの瞬間の気配の探り合い。
私が一番怖いもの。オフィスに入った瞬間から「お」の発声までの数秒。「おはようございます/お疲れ様です」を言えてしまえば一旦肩の荷が降りる。
私が一番怖いもの。目の前の相手と目を合わせること。私の目は人間を前にしたとき、抜群のクロールをしている。
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引きこもりになったことはない。寂しいという感情も搭載されているようだ。私は現在社会人で、小学生〜大学生時代の、今でも連絡をとり続ける友達もいる。それなのに、なぜこんなに人間を怖がっていて、コミュニケーションが下手くそなのだろう。
常に人の目線が気になってしまって、人間と対峙すること自体苦手意識を持ってしまった。特に目を合わせるのが苦手だ。自意識過剰と言われれば、はいそうです、すみませんと深々と首を垂れるしかない。目を合わせて会話するのが苦手なのだから。
いつから人の目が怖くなったのか思い出してみたい。自意識の発露は大抵厨二病と共にとんでもない花を咲かす。しかし、その当時私はもうとっくに自意識なんかとはお友達で、顔面のコンプレックスに苛まれてアイプチを何本も買ったりしていた。
その数ヶ月後、友達に指摘され自分の顔面の最も残念なパーツは瞼ではなく、口元であったと気づく。仲の良い割に自分を俯瞰できていないポンコツの姿がそこにはあったのかしみじみと思い出す。
さらに遡ると、時は平成真っ盛りの私が幼稚園生の頃。私はモモ組の中で最も背が高く、最後尾に並ぶ子だった。そして、幼稚園といえばお遊戯会。私たちモモ組は「手ぶくろ」という絵本をもとに劇をすることになっていた。
記憶が正しければ、その絵本の物語は、とある冬の日に落ちていた手袋の中にどんどん動物が入ってきてみんなで温もる、というものだった。この動物に我々幼稚園生がなりきるのだ。動物は物語に登場するものでなくてもよかった。
そこで幼い私の心の中に一つの悩みがポカンと浮遊してくる。私は当時、ハムスターが好きだった。可愛いハムスター役として、手袋に入りたかった。しかし、クラスで一番でかい私がハムスター??
怖かった。許される行為ではないと思った。先生からも、友達からも、友達のお母さんお父さんからも笑われるんじゃないかと。そう思いながら、結局先生にヒソヒソとハムスターがいいことを伝えると、私にハムスターが似合うか否かなんて一切言わずに何色のビニールでハムスターの衣装を作るのかだけ聞いてきた。確か、薄くピンクがかったベージュを選んだ。はあ、それではハダカデバネズミではないか。
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五歳の頃から自意識と戦っている。今現在、昔のことを思い出しながら、なんて残念な生き方をしているのだろうとがっかりしている。もうこれは生涯付き合っていかなければならないのだろうと諦念しかない。
成人してからはお酒を覚え、これはこれはと酔いに身を任せて喋ったりする。目が合えども記憶がない。上手く付き合わなければ身を滅ぼすだろう。他に何かいいアイテムがあればいいのに、今のところ見つかっていない。
多分これまで、過去の私はどうにかやってきた。いつか大変身を遂げるわけでもなく、これからも人の目線と、自意識をどうにか避けたりぶつかったりしながら生きていくのしかないのだろう。そう思いながら気づけば人と上手く生きていけたとすれば、それが歳を重ねるということかもしれない。