自炊を始めたのは、自分を愛してあげるためだった。
1センチの厚さに切ったじゃがいもと、3センチくらいのざく切りにしたネギを、たっぷり水を張った鍋に入れる。続けて千切りにした生姜と手羽元も鍋に加え、ぐらぐらと火にかける。今日の夕飯はタッカンマリ。韓国の鶏鍋だ。
もともと自炊は好きではない。そもそも家事全般が好きではないし、面倒くさがり屋の自覚がある。
片付けも苦手で、部屋が整理整頓されていることはほとんど無い。大抵何かが床に散らかっていて、机の上はもので溢れかえっているし、ゴミ出しに行くのが億劫で部屋にゴミが溜まっていくことも往々にしてある。
気力が出なくて入浴できない日もあった。シャワーを浴びられれば良い方で、何も予定がない日はシャワーすら浴びられない。
食事はコンビニのパンで済ませ、たまに暴食に走る。
自分のような人間は、そんな生活でもしょうがないと思っていた。それで良いと思っていた。
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セルフネグレクトという言葉を初めて目にしたのは、X(旧Twitter)でのことだった。自分自身の世話ができない状態を指し、1人暮らしの高齢者に見られる傾向があるという。
その説明を読んで、自分の生活はセルフネグレクトとまではいかないが、何かしら通ずるものがある、と思った。
自分自身への関心が薄れて、自分を大事にしようという気持ちがなくなる。そうすると、自分のことがどんどん疎かになっていく。
さらに、自分のケアができなくなると、思考も行動も内向きになる。部屋に篭る時間が増え、外に出ることが少なくなっていく。
Xでセルフネグレクトについて調べていく内に、気になるポストを発見した。セルフケアができなくなると、次第に他人のケアもできなくなるというのだ。
つまり、人に対して優しくなれなくなるということ。愛ある接し方ができなくなるということだ。
本当かどうかはさておき、それは困る。自分の生活なんて本当にどうでも良いと思っていたが、それが他人にも適用され始めるとなると話は変わってくるだろう。できるだけ人には優しくありたい。
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自分の目指す姿勢として、「自愛」という言葉が近いと思う。最近、ご自愛、という言葉を、ビジネスメールの文末以外でも目にするようになった。意味を調べると、「自分を大切にすること」と出てくる。私はこれを、単に自分を甘やかすことではなく、自分自身の価値を認めてあげる行為だと解釈している。大切な自分のために、丁寧に日々を過ごすことも、自愛にあたると考えているのだ。
私は、自分を愛してあげるための第一歩として自炊を始めた。コンビニのパンを詰め込むように食べていた頃、「また食べすぎてしまった」「お金をたくさん使ってしまった」と後悔の念に駆られることが多くあった。自炊は、そういった後悔をしないための手段である。
たくさん作るのは負担が大きいので、大抵一汁一菜程度しか作らない。それでも料理が完成した時の達成感はあるし、なにより、できたての温かいご飯はそれだけで私を幸せにしてくれる。
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ご自愛の道には、まだまだ課題が多い。部屋は相変わらず散らかっているし、自分の生活が整うまではかなりの時間がかかるだろう。
ただ、もっと自分を愛そうと思えたことは、私にとって大きな進歩であり、良い変化である。人に優しくあるため、自分自身にも優しい私になりたい。
鍋がぐつぐつ言いだしてから15分も経てば、手羽元にもすっかり火が入り、じゃがいもはホクホクに、ネギはとろとろになる。
頑張った自分を褒め称えて、あつあつを一口。
初めて作ったタッカンマリは、思わず頬が緩む美味しさだった。