日常的にバッチリメイクをする習慣は私にはない。肌トラブルが起きやすいからでもあるが、最近はどうしても気合を入れたいときにしか施さない代物になりつつある。

先輩の指導によるメイクレッスン。鮮やかな色にワクワク

初めて自分でメイクをしたのはおそらく高校2年の時。しかも舞台メイクだった。
私は2年からという遅い入部だったが、色々とあって中国舞踊部に入った。普段は体育館で演目の練習をして、夏や秋にはお祭りやイベント等で披露の場が多数ある。つまりはステージが付きものの部だ。

3年のある先輩がメイクに関してかなり熱心な人で、これまでの部のメイクを一新して「今までのやり方気に入らなかったんだよね。より綺麗にしたい!」と舞台シーズン前に部員を集めて一斉レッスンをしてくれた。
目の前には普通のメイク道具もあるが、かなりはっきりと発色してるアイシャドウ、カラーのアイラインや舞台メイク用のファンデーションなとががテーブルに並んだ。
オリジナルの資料を先輩が作ってくれて、ラインやシャドウの手順をなぞりながらメンバーみんなで一からメイクを学んだ。私を含む数人は初心者で、先輩にラインを引いてもらってお手本を真似た。

舞台メイクの唇は基本真っ赤、目元のシャドウとアイランは濃い緑やオレンジ、ブルーなどの濃い色が当たり前。
鮮やかな色を自分の顔に乗せていくのは、なんとも言えないワクワク感が湧いてきた。

私が覚えたのは、もう一人の自分になるためのメイクだった

舞台用ファンデーションもそれこそ「塗りたくる」という表現が当てはまるぐらい毛穴、ソバカス全てを埋めるようにベッタリと塗った。よく部員同士でメイクを落とす時に「あー皮膚が呼吸できる!」と笑いながら言ったものだ。

アイラインは本当に難しくて、黒ラインを引いて上に色のラインを乗せるのだが、私は左右で瞼の形が違うのでなかなか苦労した。二重と奥二重で、奥二重側は目を開くとほとんど見えないから、かなりの幅を描いた。舞台だから瞼上は最低5ミリぐらいは乗せて、目尻から伸ばす部分も太めで3センチ近くは描いた。
ラインは舞台の大きさ、お客さんとの距離を毎回考えて「今日近いからこんなもん?」や「遠めだし、これくらい?」と、一緒に踊るメンバーで長さや太さを相談しながら同じぐらいになるように調整するのが習慣だった。

舞台メイクは顔のパーツを浮かび上がらせる作業で、線と色をとにかく濃くはっきりとさせる。自分の顔の成り立ちと向き合いながら修正、加工、強調していき元の顔がわからなくなり別人になる気がする。もう一人の自分になる。そんな気がしていた。

舞台の華やかさはないけれど、今のメイクに納得している

それが私のスタートだったもので、いざ普通のメイクをしてみようと自分で一式を買い揃えて挑戦したものの、なんだか舞台と比べると普通のメイクは淡い色合いが多いのであまりときめかないし、変身度も低いので(あくまでも個人的な見解)苦労して毎朝メイクをする気にはならなかった。

結果、私は眉はしっかりめに整えて、アイラインは引かずマスカラをする程度にしようと収まった。私の顔立ちはラインを引いてしまうとそれこそ普通の生活の中では「濃い」と思ってしまったからだ(もちろん、細めに引くこともある)。
だからといってシャドウを入れることも考えなかったわけではないが、シャドウもなんだか舞台に比べると普通メイク用は淡い色合いだから、変に入れると私の顔立ちでは野暮ったくなってしまうからやめた。

家の中で過ごしたり、畑に出たり、子どもたちと遊ぶ事がままある私の日常では、ある意味でメイクは特別で、今の自分の中では「なくてもいいか」ぐらいな感覚になってしまった。
だからといってシミやそばかす、吹き出物の悩みはそれなりにある。メイクをしない代わりと言ってはなんだが、ここ数年は自分で化粧水やケア用品を作っている。自然由来でお金をかけずに自分の生活を作って生きたくて始めたことだが、生活の全体をそうしたくて科学調合された化粧品をできるだけ遠ざけたいとも思っているのかもしれない。
社会人になってからも職場がメイクをほとんどしていなくても平気な場所ばかりだったので、今でも眉を書く程度のズボラメイクで過ごしている。

卒業から10年以上経つが、ご縁があって本当に稀に舞台の機会を頂く事があり、舞台メイクをする事もある。その度、高校時代を思い出して当時の感覚がよみがえる。
太めに引くアイラインと色鮮やかな口紅やシャドウ。化粧は女の武器と表現することもあるが、私は武装ではなく、もう一人の「表現者」としての自分になれるから、メイクそのものは決して嫌いではない。
メイクをバッチリしている女性ももちろん素敵で憧れるが、私はとにかく日常的には今のスタイルで納得している。私にとってメイクは限りなく不必要に近いものでもあり、非日常を与えてくれるカギなのだろう。