好きな人の名字と自分の名前を組み合わせて、ノートに書いてみる。しっくりくるわけではないけれど、慣れたらよく思えるかも…なんて想像したことのある女の子は少なくないだろう。
かつての私もそうだった。結婚したら、女性が名字を変える。好きな人とおそろいの名前になることは全ての女の子が憧れる未来なのだと、そう信じていた。
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2年前に結婚した彼とは大学で出会い、10年の付き合いになる。結婚を意識できる相手と交際したいという価値観が一致していたこともあり、何気ない会話の中で「もし私たちが結婚したら」なんて例え話もよくしてきた。
社会人になって少し経った頃、何の脈絡もなく「結婚したら名字どうする」と聞いてみた。彼は「僕はどっちでもいいよ。○○さんはどうしたい?」と言った。私はてっきり「僕の名字じゃない?」と返ってくると思っていたし、私も彼の名字になるしか選択肢がないと思っていたので、すっかり面食らってしまった。結婚後の名字をどうしたいのか、女性の私が希望を聞かれる立場ではないと無意識に思い込んでいたことに気付いた。
彼は中間子だけど長男で、父親が始めた伝統工芸品を作る仕事をしている。技術だけでなく、今後は職人としての名前も受け継いでいくことになるであろう人だ。そんな人が、どっちでもいいと、そう言った。
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夫婦の名字を選択する機会を得られる女性はどれくらいいるのだろう。選択的夫婦別姓が実現していない今の社会だと、特に疑うこともなく男性側の名字にそろえるとか、希望があっても相手や親族の意向に逆らえないからといった理由で男性側の名字に着地する人が多いのではないかと思う。
彼が私に名字の決定権を委ねてくれたのは、私が自分の名字を気に入っていることを知っていたからだ。彼もまた私の下の名前を気に入ってくれていて、名字と名前のバランスがとても好きだとよく褒めてくれていた。そういう理由もあって「あなたの名字は素敵だと思うし、変えることで嫌な思いをしてほしくない。自分は名字にこだわりがないから、選んでいいよ。自分たちの結婚生活なのだから、自分たちの気持ちを優先しよう」と伝えてくれた。
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彼は仕事中、ラジオを聞いている。その中で選択的夫婦別姓の話題の話を耳にしたのだという。今の法律の状況や習慣で作られた世間一般論を自分の身に置き換えて考えた時、夫婦の名字について相手はどう思っているのだろうと想像してくれていた。
もしも彼にラジオなどのメディアを通して選択的夫婦別姓の話題に触れる機会がなかったら。私が名字を気に入っていることを知らずに過ごしていたら。普段からどうしたい?どう思う?という会話をせずに付き合い続けていたら。彼は自分の名字にそろえるのが当たり前だろうと主張しただろうか。
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婚姻届を提出するギリギリまで私たちは名字をどうするか考え続けた。両方の親にも、名字で迷っていることや選択的夫婦別姓がかなったら別姓を検討することを伝えた。どちらの家族も私たちの考えを受け入れ、選択を任せてくれた。
けれど、考えれば考えるほど女性である自分がわがままを主張しているような気分にもなってきた。誰に責められているわけでもないのに、世の中のスタンダードにはない選択をしようとしていることに居心地の悪さを感じて、しんどかった。
それが影響したのか、ある夜、名字が泡をたてて水の底へ沈んでいく夢を見た。名字は息をしていて、確かに生きていた。あの何とも言えない喪失感を忘れられない。自分にとって名字は私という人間を構成する大切な一片だった。
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そういった過程を経て、私は彼と同じ名字を選んだ。決め手は、子どもに名字をあげることを想像したとき、職人として日々成長し尊敬する彼の姿が心に浮かんだから。シンプルにこの一つだけ。最初は新しい名字がぎこちなかったし、改姓手続きを面倒に思うこともあったけれど、今ではもうすっかり慣れてしまった。不便があるとすれば、旧姓の頃の自分を少し忘れてしまう寂しさがあるといったところだろうか。
世の中にはこれまでの習慣を理由に、これからを生きる個々の選択肢を狭める障壁が多く存在する。日々情報に触れ、自分ごととして考えてみよう。パートナーや友だち、気軽に話せそうな人がいたら話題にしてみよう。対話によって新しい視点が得られるし、最後は自分なりの結論に辿り着けるはずだ。今後さまざまな場面で個々に選択の自由が与えられる社会になることを望む。