ドッジボールが怖い。とにかく怖い。

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何が怖いって、あの容赦なく飛んでくるボール。当ててやるぞ!という相手がたの気合いに、当たる前から気負けする。小学校の休み時間に何をしていたかの話になったとき、真っ先に「ドッジボール!」と答える人のことをうらやましく思う。どこの地域で育った子も、ドッジボールに燃えた経験がある人はみな、終業のチャイムが鳴り終わる前にボールを脇に抱えて一目散に校庭へと走っていたんだろう。

私は、そんなクラスメイトを教室の窓から眺めているタイプの子どもだった。私からするとドッジボールは「自分に向かってくる豪速球から避けなければならない過酷なゲーム」だ。

ドッジボールを楽しめていた時期はちゃんとあって、小学校低学年の頃は地域のドッジボール大会に出ることもあった。ただ、その練習中にトラウマ級の出来事が起こった。

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学年まぜこぜでチームを組み、練習試合をしていた時のこと。4学年上の男子が投げたボールが、私の顔面にバチコン当たった。「顔、付いてる!?」。当たった瞬間は驚いて、引きつる顔で「大丈夫」なんて言ったけれど、頬にじわじわと広がる熱と痛み。ボールを投げたのは体格もパワーも桁違いな男の子。誰がどう見てもあのボールは強烈だったはずだ。

年上の女の子たちが試合そっちのけで心配してくれた。男の子もコートを抜けて「ごめんね」と伝えに来てくれた。顔面に当たるなんて、いくらなんでもぼーっとしすぎだ…。

人にボールを当てて点を取るゲームだから、体のどこに当たってもおかしくない。うまく避けたり取ったりできなかった自分のミスだから、痛そうとかかわいそうとか、そういう心配の目で注目されて恥ずかしかった。

体を動かすのは楽しいけれど、スポーツが得意でない自覚は幼いながらに持っていた。「なんで私なんかが大会に出ようとしているんだろう。恥ずかしい」。十数秒の間にいろんな思いが頭を巡った。顔面はセーフって言われたけど、今すぐ外野に出たい。ちょっと休みたいですって断りを入れ、白い線から出た瞬間、涙がブワッと溢れてきた。驚きや痛さもあったが、恥ずかしさが一番だった。

それから、自分を目がけて飛んでくるボールが怖くなり、ドッジボール自体が嫌いになった。

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親子参加の行事でドッジボールをした時、自らボールに当たって外野に行き、試合が終わるのを待った。それは、苦手なものはやらないといった不貞腐れた態度に見えたのだろう。母からは「つまらなそうにしていて、お母さん恥ずかしかったよ」と叱られた。一生懸命やったら楽しいかもしれないのにっていうことが言いたかったんだと思う。その通りだ。どうせやるならみんなが楽しい雰囲気の方がいいし、苦手だと思っていてもやってみたら案外センスが良いなんてこともある。

思い返してみたら、顔面にボールを受けたあの日から、ボールを取ったことがない。取ろうとしないから、ボールから逃げるしかない苦痛のゲームになっていたのだ。自分の考え方次第では、相手の手を離れたボールを取って投げ返す、点を取りに行くゲームにすることもできたんだ。そう思ったらドッジボールって楽しそうだ…と今なら思う。

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ドッジボールが怖いまま大人になってしまった。「ドッジボール楽しかったよね」って言える人をうらやましく思うのは、自分にも「楽しかったね」って言える可能性があったことに気付いているからだ。何かを怖いと思うのは、そのものをよく分かっていない場合がほとんどだ。苦手・嫌いと思う物事があっても、大丈夫だと思える知識や経験を集めてみたら大体のことはうまくこなせるのではないかと思う。もしこれからドッジボールをする機会があるなら、ボールを買って練習する。アラサーだけど練習する。挑戦の先にいる「案外できちゃってる自分」というのを信じてあげたい。そして、今も心の中で泣きべそをかいている、顔面にボールを受けて頬を腫らせた小さな自分に「ドッジボール、楽しいね」って言ってあげたい。