私にとってサンタさんが来てくれていた頃のクリスマスは今となっては遠い昔になってしまった。クリスマスイブの夜、寝る前、私は耳を澄まし、「サンタさんが近づいて来る音がする!」などと言い、はしゃいでいた姿が懐かしい。

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サンタさんが来てくれるのは嬉しいけれど、12月に入り、クリスマスが近づくと親から「サンタさんから何もらうの?」と聞かれても、すぐに答えられたことはほぼなかったように思う。私はどちらかと言えば、「何が何でもこれが欲しい」といった物欲がない方だった。普段、文房具や雑貨など細々とした欲しい物はその時に買ってもらっているし、クリスマスだからと言って、「ここぞとばかりにあの大物が欲しい」といった願望がなかった。でも、サンタさんから何ももらわないのも違うし、自分なりに欲しいものを見つけ出していたように思う。

サンタさんとの思い出は色々ある。ある年は、クリスマスより少し早くサンタさんが来た。クリスマスソングにもあるように、まさに、「あわてんぼうのサンタクロース」である。私は、その日にサンタさんが来ると予期していなかったので、朝起きてプレゼントを見つけた時は驚いた。サンタさんは慌ててクリスマス前にやって来たのかもしれないけれど、今思えば、早く私を喜ばせたいと思い、クリスマスより前にやって来てくれたのかもしれない。
ゲームソフトをもらった年は、あまりにも嬉しくて、つい長時間プレイしてしまった記憶がある。けれど、親もクリスマスということで大目に見てくれたのか、怒られることはなかった。

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プレゼントはもちろん中身が一番の醍醐味なのだけれど、私は包み紙も嬉しかった。クリスマス仕様の可愛らしい包み紙は捨てるのが惜しまれた。ある年は雪だるまの絵柄の手提げ袋が付いていた。おそらく、私がプレゼントの中身に夢中になっている間に母親が手提げ袋を捨ててしまい、喧嘩になったことがある。それぐらい、私にとっては手提げ袋も嬉しさの賜物だったのだ。

親に「サンタさんから何もらうの?」と聞かれて、「〇〇もらう」と口頭で伝えていたこともあれば、欲しい物を紙にリストとして書き、空からやって来るサンタさんに見えるように、窓に貼っていた年もあった。そのリストには、サンタさんのサインも書いていた。けれど、実際に、サンタさんのサインが届くことはなかった。サンタさんもきっと恥ずかしかったのだろう。私はそう思う。

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サンタさんとの思い出は数多くあるけれど、もし戻れるとしたら、小学6年生のクリスマスを選ぶ。それが、私にとって最後のサンタさんとの思い出だ。毎年のようにプレゼントを開けて喜ぶ私。けれど、その時は、もうこれがサンタさんからの最後のプレゼントだとはこれっぽっちも思っていない。

そして、1年後の中学1年生のクリスマス。朝起きて、部屋の周りをいくら見渡してもプレゼントはなかった。その時の寂しい気持ちは何とも表現しがたい。私は心の中で「サンタさん今年は来なかったんだ」と思った。けれど、それを口に出すことはなかったと思う。もちろん、次の年もその次の年もサンタさんが来ることはなかった。つまり、小学6年生のクリスマスが最後だったのである。

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サンタさんは何歳まで来てくれるという決まりがないだけに、突然来なくなると子供ながらに寂しさを感じるもの。そういえば、最近、「年賀状じまい」という言葉を耳にする。年賀状を今年で辞める旨を書いて年賀状を出すケースなどを言うらしい。これに当てはめて、サンタさんも「サンタさんじまい」をしてくれたら、なお良かったなと思った。私のケースで言えば、最後の年に「これが最後のプレゼントになります。大切に」などと一言メッセージがあれば、中学1年生のクリスマス時に感じた寂しさはきっと半減しただろう。

サンタさんが何歳まで来てくれるかはサンタさんにしかわからない。「ずるい!」と言いたくなる気持ちもあるけれど、もし、最後の年にサンタさんから「サンタさんじまい」のメッセージが届いていれば、裏面にこう書いてサンタさんに渡したい。「今までたくさんのプレゼントをありがとう」