「おねーちゃんってさ、今日黒い縁取りが付いてるカラコン入れてんの?目、茶色いじゃん?」
「え?入れてないよ?んー…それって自分も言われん?」
そういえば、最近こんなやりとりを妹とした。
確かお風呂に一緒に入ってて、ふと言われた一言だ。
姉妹揃って目や髪の毛からすると、体の色素はどうやら他の人と比べて若干薄いらしい。
こんな事を言ったら自惚れも大概にしろって言われるかもしれないけど、私は自分の体が好きだ。
特に目と髪の毛。でも、子供の時の私はちょっと違った。
今回は他人の視線の中で、私が私の見た目を好きになるまでの過程と実験について書いていきたいと思う。
◎ ◎
私が初めて自分の髪の毛や目を意識したのは、たぶん5歳くらいの時。
髪の毛や目が茶色いね、って言われることが増えた時期だった。今とは違って長い髪の毛だったから、髪の毛の色味は今よりも目立っていたみたいだった。
水泳教室に通ってたから、塩素で髪の毛の色が少し抜けてしまっていたこともあるかも。
「綺麗ね」って褒められることもあるけど、真顔で「染めてるの?」と言われることもある。どうやら私の体の見た目は、他の人とちょっと違うらしい。
幼いながらに自分に対する他人の視線を感じた時だった。
それが気になった私は、ある日こんなことを言った。
「ママ?髪の毛染めてみたい。黒い色に…」
おしゃれな気持ち半分、みんなから浮いちゃってるのが気になるの半分、そんなことを言った。
みんなと違うことが、周りよりも目立ってしまうことが、ちょっと居心地が悪かったのだ。
結局頭皮に影響があるかもしれないということで、髪の毛は染めなかったけど。
それでもみんなから少し浮いてしまう見た目の個性は、自分の記憶の中に強烈に残っていた。
◎ ◎
次に、自分の見た目について考えさせられたのは高校生の時だ。
高校生の頃は髪の毛をベリーショートにして、前髪をちょっとアシメっぽく切っていた。
そこにいわゆるアメピンを前髪につけて元来の少しキツめの顔とも相まって、ちょっとヤンチャな感じの見た目だった。
(ちなみにパートナーに聞いたら絶対友達にはならない見た目と言われてしまった…笑)
校則がそんなに厳しい学校ではなかったけど、ある時先生に呼び出されてこう言われた。
「その髪型にして思ったけど、その茶色い髪の毛、染めてる?」
「染めてないですけど…そんなに茶色ですかね…?」
今考えると、髪型が他の子よりもちょっと「元気」な印象を与えるものだったことが、髪色を余計強調してしまったのかもしれない。
結局、幼少期の写真を学校に提出し、「髪の毛は元から茶色です」という地毛証明書を発行した。
◎ ◎
この二つの出来事は、自分に向けられる他者からの視線について、よく考えるきっかけになった。
人は見た目(身体的な特徴)で自分のことをある程度判断する。
そして私の場合普通(加工しなくても)でも、見た目はみんなと同じになれない。
それならば、見た目と中身のギャップをあえて大きくしたらどうなるんだろう?
そんなことをふと思うようになった。
そこから大学生になると、金、緑、青、紫などなど髪の毛を染めまくった。
見た目と中身のギャップがすごかったからなのか(?)、可愛がってくれる恩師や、仲のいい友人に本当に恵まれた大学生活だった。
一応、実験は成功である。
この実験をやった結果として、私自身が私の中身、つまり「どんな人間か?どうありたいか?」みたいなことをよく考えるようになった。
それはつまり、自分の心情や考えは本当はどんなもので、他人の視点とは切り離して、何を大事だと感じているのかみたいなことだ。
これは見た目から作られてしまう相手のステレオタイプにハマらないからこそ、出来たことだと思う。
また、見た目によって「相手にどんな印象を与えたいのか」ということにも目を向けられるようになった。
自分の与えたい印象で、ある程度自分の見た目を変える。そんなことがあってもいいと思うのだ。(社会人になったら意外と必要なことだと感じる…)
自分自身の目や髪の毛がなかったらこんなことも思わなかったかもしれない。
そう考えるとなんだか自分の体が愛おしくなった今日この頃である。