お金を稼ぐために生きるのではなく、生きるためにお金を稼ぐ。

人生には金銭的な問題が必ず付きまとっているのだが、それは私たちの生産的価値を試されているようにも思う。

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しかし、値段が「高い、安い」に翻弄されてしまうのは、どうかと思っている。

ショップにふらっと立ち寄った際、「SALE」という張り紙を見た瞬間、購買意欲に駆られてしまうという場面によく私は遭遇する。それまで全くといっていいほど、購買欲などなかったはずの人が、安いものがあると知った瞬間、血相を変えて食らいつくような姿は、珍獣のようだ。そうした「SALE」に遭遇したときほど、その人のお金の使い方が丸裸となって出現するものなのだろう。

ずっと欲しいと思っていたものが「安く」なっていたら、私はすぐ手に取ってレジに直行するだろう。しかし、それほど欲しいと望んでいないものなのに「安い」というだけで財布を出すという行動は、絶対にしたくはないのだ。だって、「値段」を買っているようなものだから。

そうじゃなくて、物の価値そのものを見極めないといけない。自分にとって、どれだけの幸福を与えてくれるのだろうか。それがたとえ、安くても高くても、その「物」の本質を見極めることで、正しい買い物ができるはずだ。

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しかし、「SALE」をアンチしたいわけではなく、もちろん普段よりもお買い求めやすくなっているSALE期間は、私だって心躍るものである。

特に、好きな通販サイトが土日限定で送料無料になっているときや、ずっと欲しかったものに値下げのタグがつけられていたら、「もう買っても良いよ」と背中を押してくれているみたいで、嬉しくなる。

これも衝動買いの一種ではあると思うが、こうした衝動買いは後から罪悪感に悩まされることはない。間違いなく、自分を、この先の自分の生活を豊かにしてくれる。そんな保証がある買い物こそが、お金との距離感を考えさせていくのだと私は思う。

買い物は毎日することであり、生きていく上でお金の課題はつきまとってくる。1万円稼ぐことだって、決して快楽に満ちているわけではないのだが、汗水流して稼いだお金を使うとき、快楽に満ちていなかったらどうするのだろうか。

ここ最近、「仕方ない、安いのはこれしかないから、これ買っておこう」そう言いながら諦めのモードで安いものを買っていると、自分の価値も下がってしまうような気がして、私は落ち着かないのだ。

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もちろん、何もかも安いものを買うというより、ここは消費を抑えて特別なときに使おう、といった節約志向も、かなりお金との距離感を考えさせられるものだと思っている。

最近では物価高で世の人が節約志向になっているというのは、今に始まったことではない。年に一度のクリスマスだって、身を削って最低限の衣食住で手いっぱいで生きている人もいるなかで、贅沢をうたうのは少し罪悪感を抱く、という人もいるのではないだろうか。

お金の価値観は人それぞれ、生き方だってお金の稼ぎ方だって人それぞれ。そういう時代に生きているからこそ、あらためて色んな価値観に身を揺らがせてしまう。

そんな中で、やはり最終的にはお金をどれだけ上手く使って、老後に残せるか。そんな闘いを強いられているようで、令和の時代は、なんだか生きづらい。

そう綴ってしまうと、窮屈やん、と本音を嘆きたくなるのだが、自己投資やらNISAやら、自分と日本の経済のためにお金を運用することは、未来の日本を、世界を知ることにも繋がるのかもしれない。未来というのは、未知の世界で結果がわからないからワクワクする。お金だって、荒く使いまくるのか、はたまた未来のための貯蓄を優先するのか。これも、まだ結果に縛られていないから、面白いのかもしれない。 
お金との距離感を考えたとき、その人の人間性や未来までもが、ぼんやりとではあるが浮かび上がってくるのかもしれない。