つらかったけれど、言葉にしてよかったのは、パニック障害のこと。
私は高校生の時から、人がたくさんいる空間や乗り物が苦手で、「ここに居たら死ぬかもしれない」と逃げ出したい衝動にかられ、過呼吸になったり目を開けていられなくなったり……といった症状に悩まされてきた。

母がすすめてくれたカウンセリングに行って初めて、それがいわゆる「パニック障害」と言われるものだと知った。

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幸い、カウンセリングでの認知行動療法が奏功し、大学三年生の頃にはほぼ問題なく日常生活を送れるようになった。停止する駅と駅のあいだが長い特急電車や、飛行機にも乗れるようになり、大学の大教室での授業も、入口から離れた席に座っても問題なく受けられるようになった。

しかし、パニック障害が「全快」することは、なかなか難しい。社会人になって環境が変わったこともあってか、それはまた少しずつ芽を出すようになっていた。

私には大切なパートナーがいる。学生時代に出会い、卒業後に結婚して、今は私の夫だ。

彼を心から尊敬し、信頼している。でも、パニック障害について詳細を話すことを私はずっとためらっていた。

「分かりたくても分からない」。「大好きだけど理解できない」。そのショックを私は何度か体験していたからだ。

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たとえば、父は一人娘の私にたっぷりの愛情を注いでくれた。子どもの時も社会人になった今もそれは変わらない。ただ、私が父の運転する車内でパニック症状に苦しんでいる時、父は「本当に理解したい」けど「理解ができなかった」。

なぜ、安全な車内で「死ぬかもしれない」と思うのか。正常な状態の私ですら、パニックの渦中にいる時の私の状態を完全に理解するのは難しい。ましてや、父のように剣道一筋で「強いこころ」の持ち主には、ますます難しかったと思う。

夫も同様で、どんなに私を愛してくれていても「理解してくれないだろう」と半ば勝手に諦めていた。拒絶されるのが怖くて、話すことを拒んでいたと言う方が正しいかもしれない。

彼にはパニック障害であることだけは伝えていたが、その詳細を伝えることはしていなかった。しかし、詳細を伏せることで彼を「モヤっ」とさせてしまい、衝突してしまうこともしばしばだった。

たとえば、軽度のパニックになっている時、私は自分の中の混沌をおさめようと必死で、周りを気にする余裕がない。それを彼から、「あの時、周りに対して失礼な態度をとっていた」と言われたこともあった。必死に戦っている時のことを、大好きな人からそのように認識されるのは、正直つらかった。

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そこでこの前、思い切って全部を話してみた。どんな時に、どんな状態になるのか。通常、どう対処するか。彼にはどう対応してほしいか。

パニックの時のことを振り返り、言語化するのは楽ではなかったが、時々とまりながらも話す私に、彼は拒絶せずに向き合ってくれた。質問もしてくれて、彼が「分かりたい」と思っていることが痛いほど伝わった。それだけで十分だった。

説明とQ&Aが終わった後、場を締めたのは彼だった。「同じ身体じゃない。完全に同じ感覚を共有することはできないからこそ、言葉にしないと分からないんだ。言ってくれてありがとう」。

私の勝手な思い込み――「理解できないだろう」というのは、違っていた。パニックの感覚をまるごとコピーして伝えることはできなくても、言葉を使って、その時の思考や状況を解ってもらうことはできるのだ。それぞれ別の身体を持つ二人の人間として、その瞬間の身体感覚をリアルタイムに共有することができない以上、私たちを繋ぐのは言葉しかない。

言語化が、パートナーシップをまたひとつ強くしてくれた冬だった。